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5. 向き合えば
「向き合えば、いのちが流れる」ふとそう思う。食べ物・衣服・薬・学校・家・親無く‥‥‥ないないづくしの東ティモールの子どもの瞳に出遭った事がある。何かを耐えている、熱帯なのに心がふるえて寒そうな感じだった。破壊され焼かれた病院からの帰りの車中だった。
手もとにあった飴玉を手渡したら、その子は握り締めて食べなかった、こちらが食べてさそったけど食べなかった。もう一つ、もう一つと幾つか手渡しても食べず握り締めていた。やがて壊され焼かれたその子の家らしき処に来た。その子は飛び降りて走った。物陰から何人もの子ども達が現れた。その子はしっかり握って食べなかった飴玉を分けていた。食べ物を分け合うことが生きることだ。向き合えば分かち合い、いのちが流れる。
向き合って間に異なる文明とか人種とか宗教とかが対立を作り出すと、必ず武器と戦士が出てきて、政治と経済の仕組みが背後に控える。
対立がますます増幅され、押し付け合い、奪い合い、殺し合い、いのちは死ぬ。長い植民地時代、侵略、弾圧抑圧の下から、21世紀最初に独立を成し遂げた東ティモールは、その国創りの厳しい試練の只中にある。
国家造りというより人間創りなのかもしれない。いわゆる先進国の人が人間として進んでいるとは言えないだろう。広い視野で、分かち合うことを知り行っていないならば。
1999年8月30日、17歳以上の東ティモール人は命をかけて住民投票を行い、軍事力の侵略・弾圧・併合を拒否した。その代償は、インドネシア国軍と民兵による破壊と略奪・放火・殺人・強制移動・拉致等の悲惨な現実であった。その東ティモールでは「受容・真実・和解委員会」と呼ばれる働きがなされている。侵略の歴史の中で傷つけ奪い殺し合いまでしてしまった人々の新生へ努力の歩みだ。その委員の一人が表明したのが、「戦士の文化を否定しよう」という叫びだった。独立の憲法を制定する時、日本の憲法9条に倣った国づくりが問われたのだが。やはり軍隊を持つに到った。
その日本で、やがて国民投票の時が来る。戦争の出来る、戦争をする国家を誕生させるのか。軍事力を間に置く向き合いはいのちを生まない。どのように話し合い、どんな既得権を再分配し、どのようにこの世界から軍事力と戦士の文化に終焉を告げさせるか。クリスマスは、21世紀に日本で人類の新しい方向性が生まれる胎動を確認し出産まで育てる恵みの時なのに。
林 尚志 (イエズス会司祭・下関労働教育センター長)
(特集-コンパッション 5 2003/12/26)