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5. 和解というプレゼント

 以前は、あまり親しくない人に「お元気ですか?」と問うと、元気でなくてもほとんどの人は「おかげさまで元気です」と、言いました。ところが、親しい人に同じことを問うと、皆正直に「なんか元気が出ない」と言います。でもこの頃は誰でも「元気じゃない」と言うようになりました。それほど、今の時代は元気を奪うことが満ちています。
 私たちのいのちは世界中の出来事とつながっていて、パレスチナやアフガンで人が死ぬたびに、心が痛みます。イラクで大勢の人々がいのちの危険にさらされていることに平気でいることができません。
 身近なことでも、職場や家庭で否定的な言葉を聞いたり、自分が理解されないと身体中のエネルギーが奪われていくような辛さを味わいます。自分が誰かとうまくいかないことも辛いけれど、誰かがいがみ合っている状態にも私たちは心を痛め、元気をなくします。
 世界中で、いのちがとても軽く扱われています。それで、私たちは深く傷ついています。 仲良くし、いのちが大事にされない限り私たちは安らかな気持ちになれないのです。世界中が怒っています。みな、自分を守ろうと争っています。愛されなかった記憶、拒否された体験から他者を攻撃し、泥沼です。
 でも本当の気持ちは「隣人と仲良くしたい」のです。どうしたらいいのでしょう?
 受難節、攻撃と拒絶と破壊の中を歩まれたイエス様を想います。ご自分に向けられた攻撃の奥にある人間の叫びを聞かれたイエス様。十字架の上からご自分を殺そうとする人々のために「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか分からないのです」と祈られた方。拒絶の中にある叫びを聴き、愛に変えて返球されたイエス様。ご自分のいのちを、ご自分を破壊する者に与えられた方。
 和解というプレゼントを与えてくださったイエス様。このいのちは神様と和解させられたいのち。きっと隣人と和解できるでしょう。なぜならイエス様が歩いてくださった道だから。

島 しづ子 (名古屋堀川伝道所 牧師)

(特集-和解 5 2003/3/28)

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