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4. 宣教者パウロ(困難を通して)

 パウロが福音を述べ伝えた町や地域を全て列挙する事は不可能ですが、彼は私達の知る範囲でも、当時としては非常に広範な地域に福音を述べ伝えています。
 使徒言行録によればパウロは三回に亘って宣教旅行を行いました。
 三回目の宣教旅行の後パウロは捕えられてカイサリアに移された後ローマに移送されますが、その途上でも宣教を行っています。
 パウロの宣教活動は決して順調ではなく、常に実り豊かでもなく、むしろ心身の労苦に満ち、失敗の連続でした。「苦労した事はずっと多く、投獄された事、むち打たれた事も多く…石を投げられた事が一度、遭難した事が三度、…川の難、盗賊の難、…町での難、荒れ野での難、…に遭い、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、寒さに凍え、裸でいた事もありました。」(二コリント11・23-27)
 しかし、パウロは決して失望しません。ましてその使命から逃れようなどとは思いもしませんでした。パウロは素晴らしい容姿の持ち主ではなく、人の注意を惹きつける雄弁家でもなく、(二コリント11・6)健康に恵まれていたわけでもありませんでした。しかしそういった事は、使命遂行の妨げにはなりませんでした。彼を支えたものはいったい何だったのでしょうか。
 パウロは様々な出来事を経て、使徒職を自分の業と見るのではなく、神の業として見るよう導かれていきます。その中で、自分にとって全てはキリストである、と悟りました。それ以外の全ての事、例えば彼が情熱を込めてする業も、説教も、キリストが彼の内に生きていなければ無に等しいのです。
 パウロはキリストに捉えられただけではありません。もはやキリストは、自分の外におられる方ではなく、「私の内に生きておられる」(ガラテヤ2・20)方として存在するのです。自分の内に居て、そこから語りかける、生きたキリストに突き動かされて行動するのです。
 自分自身は弱いままです。様々な歩みの中でパウロは自分に与えられたトゲに気付きます。(二コリント12・7)しかし、「私の恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と語られる主の言葉を受けて、「キリストの力がわたしの内に宿るように、喜んで自分の弱さを誇りましょう。私は弱い時にこそ強いからです。」(二コリント12・9-10)と宣言します。
 神は全能であるにも関わらず人間を救いの業に巻き込みます。神は不完全な人間と共にいて、力を与え、導き、成長させてくださるのです。困難の中にあっても、自分の中に生きている神の子キリストと共にあるという、内側から溢れる平和と喜びがパウロの活動の原動力になっていたのではないでしょうか。
 彼は自分を特別な人間として捉えていません。誰でも自分と同じように、キリストが内側から導いてくださるのだから「私に倣う者になりなさい」(一コリント11・1)と確信に満ちて教えています。

 この絶え間ない試練と苦しみ、祈りによるキリストとの対話、倦まずたゆまず繰り返された信頼の行為によって裏付けられた長い歩みの結果は、パウロの使徒としての活動の秘訣といえるでしょう。

参考資料
『パウロの信仰告白』 カルロ・マルティーニ著  女子パウロ会
『パウロ年 使徒パウロ生誕2000年 キリストの愛に駆り立てられて』
『愛と栄光 使徒パウロの生涯』 ダニエル・ロップス著  女子パウロ会

(特集-聖パウロ 4 2009/6/19)

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