アーカイブ

3. 宣教者パウロ(異邦人の使徒として)

 ダマスコでの出来事があってから、パウロにとってキリストが自分に何を期待しているのかを知る事は急務でした。数日はダマスコのキリスト者と共に過ごしますが、起きた出来事を振り返る必要性を感じ、砂漠に退きます。 
 その後ダマスコに帰り、早速困難に出会いました。以前、彼自身が奨励したキリスト教徒への迫害が、そのまま自分に跳ね返ってきたのです。ユダヤ人指導者達は、彼を亡き者にしようと企てますが、それは事前にパウロの知る所となり、難を逃れます。(使徒言行録9・23-25)その後パウロは使徒達に会うためエルサレムへと向かいました。
 しかし教会は、パウロがかつて残酷な迫害者であった時の事を忘れていません。そこでバルナバが彼の保証人となり、パウロが勇気を出して自分の信仰を宣言したことを説明すると、人々は心を開いてくれました。

 パウロは自分の強い性格の為、しばしば反発を呼び起こし、死の危険を感じることもありました。ある日神殿で祈っていると「行け、私があなたを遠く異邦人の為に遣わすのだ」という主の声を聴きます。(使徒言行録22・21)この時初めて、パウロの特別な使命が明確にされました。彼は、律法に忠実である人々に福音を伝えるのではなく、まだ唯一の神の啓示を与えられていない人々にみ言葉をもたらす事を、自分に与えられた「使命」として受け止めます。

 しかし、異邦人に関しては意見の対立がありました。エルサレムのユダヤ人キリスト者は、様々な規則の遵守(割礼・汚れた肉を食べない・異宗徒結婚の禁止など)に応じない限り、異邦人を受け入れてはならないと主張し(当時律法を守らない者は汚れた者、その人々と関わる事は不浄な行為とみなされていた)、逆にパウロと仲間達はユダヤ教という道を通す事なく、善意ある異邦人を受け入れていたからです。この件に関し、使徒や長老達と話し合う為、パウロとバルナバはエルサレムへ赴きました。彼らは、神が自分たちを通して行われた改宗は、感嘆すべき証である事を語り、人々を感動させます。ペトロは「神の前に、異邦人もヘブライ人も心を清められたからには、差別はない」(使徒言行録15・6-11)と断言し、パウロは賛意を得る事が出来たのです。
 しかし、一部のユダヤ人キリスト者はあきらめません。数年後、パウロはまた同じ障害に遭います。彼が創立したガラテヤの教会はユダヤ教出身者の信者に向かい、異邦人からの信者と交われば汚れる、パウロの福音は真の福音ではないと言いふらし、問題の蒸し返しをするのです。

 キリストご自身、異邦人である百人隊長や、カナンのやもめのために奇跡を行い、サマリアの女性と親しく話しておられます。キリストはユダヤ人のためにも異邦人のためにも、強い人のためにも弱い人のためにも、全ての人の救いのために死んで下さいました。パウロは、人はキリストを信じる事によって救われるので、異邦人が異邦人のままで救いに預かるという信仰を曲げる事はありませんでした。この時パウロが人々の考えを正そうとして 書いたのが、感動的な「ガラテヤの信徒への手紙」です。

参考資料
『パウロ年 使徒パウロ生誕2000年 キリストの愛に駆り立てられて』
『愛と栄光 使徒パウロの生涯』 ダニエル・ロップス著  女子パウロ会
『パウロ 伝動のオディッセー』E.ルナン著  人文書院

(特集-聖パウロ 3 2009/6/12)

ページ上部へ戻る