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4. 家族―母親と子ども Ⅰ

 今回の188殉教者の中に年齢が記載されているのは73名、そのなかで、10歳以下の子どもは22人、10代が11人と計33人にものぼる半数近くを占めています。実際にはもっと多かったのでしょう。家族が深い信仰によって一つに結ばれているのが伺えます。特に母親との絆、影響は絶大であったことは疑う余地がありません。 
 1619年、京都の52人殉教者のうち、11人が15歳未満でした。殉教者たちは、白装束、その日のために用意した着物などを着ていました。そんな中に橋本一家がありました。ヨハネ橋本太兵衛(たひょうえ)とその妻テクラ橋本、その子どもたち、カタリナ13歳、トマス12歳、フランシスコ8歳、ペトロ6歳、ルイサ3歳、娘2人、息子3人の5人の子ども、それにテクラは身重だったので6人の子どもとも言えるでしょう。
 父ヨハネは指導的な立場であったために最初の十字架に一人でつけられ、母親のテクラは、3歳のルイサを固く抱いて立ち、両横に12歳のトマス、8歳のフランシスコが同じ縄で縛られていました。隣の十字架には13歳のカタリナと6歳のペテロが一緒にかけられました。火が放たれた時、カタリナは煙で母親を見ることができないと叫びました。するとテクラは「心配しないように、まもなく天国で再び会うでしょう」と言い、子どもたちを励ましながら「イエス、マリア」と叫び息絶えましたが、息絶えた後も娘ルイサを堅く抱きしめたままだったといいます。ちょうどその頃、将軍のもとへ挨拶に訪れていたイギリス商館館長リチャード・コックスはその場面を見て感動し、焼きついた印象を次のように友人に書き送っています。「私は京都にいた時、信仰を棄てないとの理由で殺される52人のキリシタンを見ました。彼らの中には母親の腕に抱かれた幼い子もいました。母親たちは『主イエスよ、この子たちの魂を受けてください。』と叫んでいました。」
 むごい死の中に高貴な姿、弱く惨めともいえる姿の中に強い姿が見えます。世紀を超え、国境を越え、信仰があるかないかを問わず、多くの人に深い感動を呼び起こすもの、それは何でしょうか。

参考資料
・キリシタン地図を歩く(ドン・ボスコ社)
・ペトロ岐部と一八七殉教者(列聖列福特別委員会 編)

(特集-日本の殉教者 4 2008/2/15)

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