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6. 家族―母親と子ども Ⅲ

 1600年代には、信仰を伝えるための本はなく、口から口へと伝え、子どもたちに徹底して教え込まれました。とくに両親、そして信者の共同体の生き方に触れる中で、信仰は養われ、確固たるものになっていきました。
 有馬直純は、政治的策略で、家臣のキリシタンを処刑することを決意します。1613年、5家族のうち、棄教した2家族を除いた3家族を長崎の島原半島、有馬川の中州(川の中に土や砂が集まり、盛り上がってできた土地)で火あぶりの刑に処しました。その殉教した8人の中に、林田一家4人がいます。武士のレオ林田助右衛門、妻のマルタ、娘のマグダレナ19歳、息子のディエゴ12歳です。
 処刑される10月7日、十字架に腕を縛られて行列が始まり、集まってきた多くの信者たちは、ローソクを手に殉教者の傍らに付き添って見守ります。信者たちは捕えられて処刑場に向かう人たちをすでに殉教者のように敬い、取次ぎを願いました。するとディエゴは「死ぬ前に殉教者の名はふさわしくありません。でも殉教者の名をいただくことはうれしいことです。」と答えています。川を渡り、その先の道は、潮のために泥だらけになっていたため、ディエゴを背負って渡ろうとする役人に、ディエゴは「イエスはカルワリオの道を歩いて行かれました。歩かせてください。」と断わります。処刑が始まり、ディエゴは、縄が焼ききれると炎をくぐり歩いて母親のところへ行きます。母マルタは、息子を抱きとめて励まします。「子よ、天を仰ぎなさい。」これが母親の最後の言葉はでした。息子は「イエス、マリア」と唱えつつ息絶えました。姉のマグダレナは、縛られていた縄が焼けおちると天の浄配キリストに倣う所作である燃え上がる薪を手にとって頭上に置き、感謝のしるしを示し、力尽きて静かに横たわりました。彼女が死亡するや否や、信者たちは柵を壊して中に入り彼女の体を盗みとりました。他の7人の遺体は長崎のセルケイラ司教のもとに運ばれ、丁重に葬られました。後にマグダレナの遺体も司教の声明文で司教のもとに返され、7人と共に葬られました。ロザリオの聖母の祝日のことでした。

――自分の人生に深い影響を与えるような人の生き方に出会ったことがありますか。どんなこと、どんな影響をうけましたか。
――“イエスにあやかるため”という理由だけで何かを選んだことがありますか。どんなことでしたか。

(特集-日本の殉教者 6 2008/3/14)

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