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家族がひとつに

 私は1980年夫婦で洗礼を受けましたが、娘たちはまだ子どもでしたので本人の意思に任せようと待ちました。が、その年のクリスマスに声をそろえて「うけたい!!」と洗礼を受け家族全員が信者になりました。その時は当たり前のように思っていましたが、これこそ神様の導きと恵みだと今思い出してしみじみと感じています。

その後しばらくは一緒に教会に通っていましたが、いつの間にか別々になり、私などは教会から遠く離れ、そのまま長い期間が過ぎてしまいました。

娘たちも成人し独立して家を出て、家族は行動も気持ちもばらばらの状況でしたが、そんなある日、上の娘から「おやじ。映画を見に行かない?『パッション』という映画」と誘われ、娘たちと共に映画を観に行きました。誘われたこともさることながら、一緒に観ることができる映画があることが嬉しかったです。今思えばこれが我が家の一致の始まりだったかもしれません。

それから私は娘の後押しで、アルファコース(キリスト教入門コース)に参加しました。芋づる式のように家族全員が参加し、結果家族で同じ話題、祈りで分かち合うことができるようになりました。またまた娘のより以上の後押しで、私は聖書百週間(聖書を百週間かけて読みとおす)にも参加しています。今度は娘のほうが後に聖書百週間を始めましたので、ちょっと先輩風を吹かしています。

娘たちの婿たちも信者ではありませんでしたが、家族でよく集まっては神様話をしていたせいか、私の知らない間(?)にそれぞれ独自の神様の導きにより洗礼を受け、孫も幼児洗礼で、全員が信者になりました。

今は私たちより後から信者になった婿2人に先導され、復活祭とクリスマスには家族全員が集まり、ミサに、お祈りに、食事にと、神様のみことばを噛みしめて祝っています。

ばらばらだった家族ですが、イエスキリストのもとでひとつになり、日々神様に感謝しています。家族は一番身近で小さい共同体、そして信仰を互いに影響しあって、育んでいける共同体。これからもいつまでも家族が神様につながっていけますように、増えていきますように、誰も脱落しませんように・・・と心から祈っています。

余談ですが、私の聖書話が長くて、うんざりされている懸念もありますが・・・

(60代 男性)

(特集-家族と信仰5 2013/7/28)

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