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18. 復興の力 -「心で寄り添う」という活動

 大震災の日に、あなたはどこにいらっしゃいましたか?わたしは東京にいましたが、病院で大腸がんの手術後、ちょうど退院したところでした。帰宅後昼食を終えて間もなく、あの不気味な長い揺れを感じました。テレビをつけると、ニュースでまもなく津波のことを知り、やがて想像もつかない数の失われた命や行方不明者について聞きました。そして、たまたま早期発見で命の危機に至らなかった私、関東で幸い大した被害がなかった私はどうしたらいいのだろう…と思いめぐらしました。

 以前、阪神・淡路大震災の時に、ボランティアに行って来たという友人がいます。彼女は帰ってきた直後に訪ねてくれ、目を輝かせて、熱心に活動について伝えてくれました。わたしも少しでも何かできたらと考えましたが、当時は自分の仕事の状況から身動きができず、もどかしい思いをしたのを覚えています。十年ほど前、その友人は不慮の事故でこの世を去りました。30代半ばでした。今回の震災について考えたとき、あのときの彼女の顔を思い出しました。彼女が生きていたら、間違いなく今度もボランティアに参加していたことでしょう。わたしは今度こそ、生かされているこの時間を、苦しんでいる被災地の方々のために使えれば…と願いました。

 宮城県沿岸にたどり着き、テレビでは伝わらない悪臭の中、見渡す限りの瓦礫の中に立ったとき、とうとう画面の向こう側にやってきたのだと感じました。目に見える瓦礫だけでなく、まだ心に残っている津波の傷跡の生々しさを聞きながら、被災者の方のお宅で作業しました。正直、かける言葉も見つからず、ただただいたわるような気持ちで、ていねいにヘドロを出したり、清掃したりしました。写真、食器、津波をかぶった衣服、書類…一つひとつを依頼主に伺いながら、処分したり、きれいにして運んだりしました。時には、もう使えないとわかっている家財の洗浄をしたり、壊すだろうと思う建物を洗浄、掃除したりすることもありました。たとえ今まで通り使用できなくても、思い出の詰まったものをきれいにすることで、不思議なことに依頼主さんが元気になられるのでした。

 しかし、ときどき自分のしていることは無駄に等しいのではとの迷いもよぎりました。自分の使う経費はむしろ募金したほうが役に立つのではないかと。そんなとき、かえって被災地の方々に励まされました。浦戸諸島のある島の倉庫を片付けた後、船が桟橋を離れるとき、皆で長いこと手を振ってくださった島の人々の笑顔にどんなに勇気と希望をいただいたことでしょう。

 わずか数時間、数日間でできることは限られます。結局、行なった活動は目に見えることよりもすべて「心で寄り添う」ことだったとしみじみ思います。目に見えるものは過ぎ去ります。が、目に見えるものを通して、目に見えないことのために力を尽くすのだと思います。

 復興が進むにつれて、ニーズも、できることも変わっていくでしょう。これからもっと必要な活動は傾聴かもしれません。仮設での行事かもしれません。あるいは自分の場で精一杯自分の仕事をすることなのかもしれません。しかし、活動の内容がどうあろうとも、また、ボランティアとして直接働こうが働くまいが、これからも必要な活動は「心で寄り添う」という活動であることに変わりはないと思います。その力が合わせられて、復興への大きな力になれるのだと信じています。

(東京都在住 女性 M.Y)

(特集-だれかのためにできること18 2011/10/28)

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