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5. 戦争中・戦後―アルペ神父の人柄による宣教
今日、広島の教区司祭を務めている長谷川儀神父の話は印象的である。原爆が落ちた時、彼はまだ子供で、他の子供たちといっしょに、川っぷちで遊んでいて被爆した。彼は体中にやけどを負った。彼は長束の修練院の近くに住んでいた。誰かがこの子供のことをアルペ神父に話したのであろう。ある日、アルペ神父が子どもの家に見舞いに現れた。神父は次の日もまた次の日も、子供を訪れた。子供は最初不信感をもっていた。しかし神父の忍耐とほほえみの訪問が続くうちに、その不信感が消えてしまった。アルペ神父に対する感嘆と尊敬の念から、当時子供であった長谷川神父は、次第にアルペ神父に信仰の話を聞くようになり、のちには司祭の召命にあずかったのである。
戦争中・戦後を通してアルペ神父とともに生きた信徒たちは、アルペ神父のことを「隣人のためにある人」であると語っている。アルペ神父を1943年に知り、今も修練院のそばに住んでいる橋本さんも次のように言っている。「私は地区の青年団の団長でした.アルペ神父様について公教要理を学びました。神父様が笑顔でおられるのを見ると、私の心も喜びで満たされます。心が落ち着くのです。私はその頃仏教徒でした。そしてこのテーマについてよく議論を交したものです。彼は誰も住んでいない2階の部屋で私を迎えてくれました。まるで彼のすべての時間を私のために使ってくださるかのようでした。…私がキリスト教徒になったのは、アルペ神父の人柄によることは間違いありません。」
(特集-アルペ神父 5 2006/6/30)