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1. 日本人の声を聞く

 当時のヨーロッパ人の日本語に関する常識と体験者の意見から、ヴァリニャーノが日本での宣教に最も欠けているのは日本語の学習であると判断したことは興味深い。日本語の学習のためにヴァリニャーノは文法書を作成するように命じ、これにより1595年に日本語を一般的に使える宣教師が多く増えたと報告している。
 ヴァリニャーノは日本人と宣教師との関係悪化を重大な問題として扱っている。その主な理由として、宣教師の側に日本の習慣に合わせる努力がほとんど見られないと述べられている。また、イエズス会内での差別も感じられ、日本人が対等な立場ではなく、地位の低い会員としてしか扱われていなかったことも気になったようである。さらにイエズス会内の教育についても神学の勉学についても日本人に十分な機会が与えられていないと批判する。
 これまでの宣教方針の過ちを改善するため、ヴァリニャーノは大友宗麟に意見を求めた。宗麟はイエズス会員の日本人に対する態度につまずき、忠告したにも拘らず変化が見られなかったので、イエズス会の家に入ることに抵抗を感じていた、とヴァリニャーノに率直な意見を伝えた。大村純忠、有馬晴信も同じ意見を持っていた。高山右近に限らず、当時の日本人キリシタンの洞察力とキリスト教に対する理解に驚くほかない。彼らがそろって、日本人に受け入れがたい習慣を押し付けるイエズス会員の態度を強く批判していたためである。当時のイエズス会員に見えていなかった方法が日本人にはわかっていたことが読み取れる。それは、日本にキリスト教の宣教を成功させるために、キリスト教の内容を変えることが必要なのではなく、その伝える方法を考慮する必要があるという指摘である。この点から見れば、意識的であったかどうかを別にして、「日本人の声を聞く」態度をヴァリニャーノが取り入れたことを高く評価したい。「日本の文化を採り入れる」、「日本人の声を聞く」という二つの柱を基にして、1580年以降ヴァリニャーノは日本での宣教方法の改革に取り組んだ。

(特集-ヴァリニャーノ 1 2006/9/29)

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