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4. 日本人への親しさの表現
日本の既成組織に合わせることは、その組織の習慣や慣習を受け入れることとなり、自分たちの文化に合わないやり方にもできるだけ慣れる努力が必要となった。西洋人にとって教会のメンバーと親しくすることは当然のことであったが、逆に日本ではあまりの馴れ馴れしさはよい印象を与えないから、できるだけその親しさが当時の日本で慣習になっていた度を越えないようにと、ヴァリニャーノは『日本イエズス会士礼法指針』において以下のように記している。
「しかしながら日本人に対しては、こういった親愛の情や打ち解けの気持ちによって、度を過ぎた敬意を払ったり、日本人がやる儀礼とか行儀作法をしなかったり、彼らを歓迎する際に無作法を働いたり、敬意を欠いたりしてはならないことも理解しなくてはならない。なぜならば、こういったことは教化になんの役にも立たず、むしろキリシタン達の親愛の情と打ち解けの気持ちを害するからである。また、表面的な敬意が失われると、我々がよくみるように名声と評判もなくなってしまうからである。」
「また、たとえ自分が手紙を書く相手が親しい間柄の人であったとしても、パードレは誰に対しても軽々しく親しく手紙を書いたり、自分の名で書いたりしないよう注意しなくてはならない。しかし、用件の重要性と相手の人物の偉大さが別の処置を必要とする時を除いて、自分達と同居しているイルマンや同宿を通じて手紙を書いたり、手紙に答えたりするのを習慣とすべきである。」
(特集-ヴァリニャーノ 4 2006/10/20)