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砂漠
セメントの壁面とアスファルトの道。鉄の橋と石段。道に行き交う車と車。そのすき間をぬって小走りに歩き抜ける人また人。
「おーい」と呼びかけても誰もふり向いてはくれない。呼びかけても無駄だろうと望みが絶える。
小さな私ひとりは、孤独の中に取り残される。歩いても歩いても私を迎えてくれる居場所はなかなか現れない。探しても探しても出会うことができない。私は渇く。
昔、イスラエル民族は、シナイやユダヤの砂漠をさまよったという。さぞかし身も心もうちひしがれたことであろう。そのありさまは、現代の日本の都会生活と重なり合う。
渇く私たちは、潤わされたい。癒されたい。
どこに泉があるか、誰か教えてくれますか?どうしたら泉にたどり着けるか、分かる人がいますか?
そもそも泉があるのですか?
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生活のどこかを変えるとよいかもしれません。
私たちは決して見捨てられてはいません。
砂漠の渇きを感じるときこそ、かえって、すばらしい泉に出会う機会となるかもしれません。
(特集-渇き 1 2002/2/8)