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1. 神と向き合って

 「神様は前もって、こうなることをご存じだったのですか?」
と、長い沈黙の後、一人の女性ボランティアが尋ねました。南三陸町のアリーナに設けられた霊安室で祈りを捧げた後のことでした。そこには150ほどのご遺骨が番号を附って並べられ、その傍らにはご遺体が発見された時にまとっていた衣服が、透明の袋に入れられて同じ番号順におかれていました。直前に発見された方3人の棺も入り口に安置されていました。一度にこれほど多くの遺骨をみたことはありませんでした。お線香を上げ、祈りを捧げました。

 帰りの車中、誰もが無言でした。志津川高校の避難所に着いた後、ぽつんと出されたのが先の質問でした。苦しんでいる人々のために何かをしたいとの思いで、遠くから駆けつけたこの善意にあふれる人にとって、津波によって破壊し尽くされた町や、今しがた眼にした名前が分からず引き取る人もいないご遺骨との対面は、余りにも大きな衝撃だったのでしょう。愛であり全能である(と聞いている)神と、今回の津波の結果を結びつけることが、その人にとって難しかったに違いありません。聖歌を歌い、祈りを唱えた私達に、率直にいま懐いている疑問を聞いてみたかったのでしょう。何と答えたらいいのでしょう?

 「天地の創造主、全能の父である神を信じます」と日頃宣言しているキリスト信者にとっても、この問いに答えるのは難しいことです。神がこの悲劇を引き起こされた、ということはなくても、「起こることを許された」「お止めにならなかった」と言わざるをえません。

 では「今私達に出来ること」は何でしょう?

まず今こそ神への信仰を一層強める時なのだと思います。人智では計り知ることの出来ない神の救いのご計画にたいし、ただ頭を垂れて「それでも私は信じます。」と神に申し上げるしかありません。「その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」神と、私達のために十字架の苦しみと死を味わわれたキリストが、この度の震災で苦しんでいる方々の心を最も思いやることがおできになることは確かですから。

同時に、人間の知恵を尽くしてこの厳しく、悲しい現実からも学び、将来に備えることが必要でしょう。何時起こるかは未だ予知できなくとも、やがて関東・東海・南海地震が来ることは避けられないことのようです。それにどう対処するかは私達人間の課題です。それを前提条件として、たとえば地震国日本に原子力発電所を造って良いのかどうかを判断するのは私達の責任です。どこまでが天災で、どこからは人災なのかを区別する必要もあります。

そして何よりもまず、大自然の前の人間の小ささを謙虚に認め、懸命に祈ることが私達に出来る一番大きなことでしょう。

慈しみ深い神よ、犠牲になられた方々の永遠の救いを心を込めて祈ります。愛する家族、家、職場など一切を失った方々が、大きな悲嘆と喪失感を乗り越え、なくなった方の分まで、力強く復興のために働く勇気と希望をお与え下さい。アーメン。

えんや 70代男性

(特集-だれかのためにできること1 2011/6/28)

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