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過ぎ越し
イエス・キリストは十字架上で殺され、そして復活されました。このことを死から命への「過ぎ越し」と表現します。この過ぎ越しは福音書のクライマックスであり、キリスト教の中心です。
イエス・キリストは、神の子でありながら人間となり、人間が通過する運命をすべて通りました。それは例外なくあらゆる領域に及びます。私たちが痛みや死の苦しみにある時にも、神がこの「過ぎ越し」を体験されたことによって、神は私たちの痛みや苦しみを御自分のものとされるのです。キリスト教の神は私たちの日常生活と縁遠い神ではありません。どこか遠くにいる神ではなく、まさに死を味わわれたからこそ、私たちの苦しみのただ中にも共にいて励ましてくださる神なのです。私たちの死や苦しみは神が味わわれたからこそ、意味があるのです。そして人間となられた神が復活されたからには、私たちも永遠の命に生きることができるのです。私たちはどんな時にも――たとえ死ぬ時にでも――永遠の命への希望を持つことができます。クリスチャンがどんな時にも絶望せず、希望に生きることができるのは、このイエス・キリストの死から命への「過ぎ越し」によるのです。このような神に感謝したいと思います。
(特集-渇き 7 2002/3/22)