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10. Being 共にいる

 5月28日から6月4日までの八日間岩手県の釜石にボランティアとして行ってきました。カトリック教会のボランティア組織のカリタスジャパンという団体を通して釜石教会に派遣されました。その教会は沿岸からわずか一キロほどのところにあります。今、その教会はボランティアのベースキャンプとして、入れ替わり立ち代わりで常時20名名ほどのボランティアが宿泊しています。作業は瓦礫の撤去作業、釜石社共を通して依頼された避難所の炊き出し、避難所の掃除、そして、被災者のための心のケアです。私は、最初は瓦礫撤去の肉体労働をしたのですが、その後心のケアの担当をさせてもらいました。釜石では、震災当初から被災者の心のケアのニーズが高まるだろうという要請を受けて、スピリチュアルケアワーカーという仕事をしておられる方が被災地に入って、心のケアチームをコーディネートしています。具体的活動は、教会のホールの中にカフェテリアを設置し、被災者の方が憩える場を作っていて、そこで傾聴ボランティアをすることです。お茶やコーヒーはどうですかと誘ってしばらく座っていると、何人かの方は被災当時のことを詳細に語られたり、行政の支援が行き届かないことへの怒りを吐露したりして、「こんな話を聴いてくれるだけでもありがたいのよ」と言って、最後は感謝して行かれます。私もそのボランティアを通して、心のケアのニーズが何よりも高まっているということを感じました。私にとって、心のケアチームに入れてもらったことは貴重な体験でした。傾聴ボランティアというものを専門的にやったことがないので、どのようなことを心掛けていけばよいのかということを、コーディネーターの方に聞くと、彼がおっしゃったのは、「多くのボランティアは腕をまくって何かやってよるぞと入ってくる。でも、心のケアに必要なのは、そういうdoingのセンスではなくbeingのセンスを持っている人。何か自分の力で問題を解決しようとするのではなく、ただ共にいることにつくすこと、ありのままを受け入れること、共にいるというセンスが何よりも大切なのです」とおっしゃいました。私はこの方からたくさんのことを学びました。彼と語り、大笑いをしておばあさんが帰っていきました。「あのおばあさんも最初は泣いて泣いて…。ようやく3か月たって笑顔が出てきたんだね」とわかちあってくれました。
 ボランティアに行くことによって私自身が新たにされて帰ってきたように思います。「共にいる」ということを学びましたし、今の生活にもそれは浸透しています。心のケアのボランティアは、目に見える達成感が得られにくく、自分の無力さともぶつかることが多いのです。実際、自分は何の役に立っているのだろうと、ただ立ち尽くすだけで無力さに情けなるときもありました。しかし、そんな時間を通しても、それよりももっと辛い気持ちでいる被災者の方々に少しでも近づけたのかもしれません。
 私自身が強く思ったことは、今回の震災を通して日本全体が新しくなっていかなければならないということです。豊かさとは何かということが問い直されていますし、生活の在り方が問われています。私は向こうから持ち帰ってきたものを今この生活の場で生かそうとしています。それも自分ができることだと考えています。私は被災地にボランティアに行き、そして何ができるかを考える中で、自分自身が新しいものとなっていくように、本来の姿へと復興するようにと促されているのを感じました。一つは、無力さ、謙遜さへの回心。心のケアは共にいるというセンスということを言いましたが、それは言い換えれば、無力さを味わうことでもあるということです。自分の力ではどうすることもできず、祈るしかない、委ねるしかない状況で共にいるということを体験します。ある僧侶の方が言っていたのですが、私たちの復興は、さらに高い堤防を立てればいいのか、より安全な原発にすればいいのか、そうではない、何よりもまず自分たちは自然の驚異に無力であるという謙遜さ、畏敬の態度が必要なのではないかと言っていました。私自身の生き方の中にこの謙遜さが必要だと思います。二つ目は、痛んでる人、苦しんでいる人に寄り添っていくことへの回心です。私たちのまわりにも、同じように現代の荒波に被災している人がいるのではないかというあり方です。
被災された方々につながりながら、新しい創造へと関わり、私自身も新たにされていくように、と毎日を生きています。
 
30代 男性 広島県在住

(特集-だれかのためにできること10 2011/9/2)

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