2月28日 年間第7木曜日

第一朗読  シラ書(集会の書) 5:1-8
自分の財産を頼みとするな。「わたしは、何でも思いのままだ」と言うな。本能と自分の力に引きずられ、欲望のままに生きてはいけない。「だれもわたしを支配できない」と言うな。主は必ずお前に復讐なさるだろう。「罪を犯したが、何も起こらなかった」と言うな。主は忍耐しておられるのだ。どうせ罪は贖われるのだからといい気になって、罪に罪を重ねてはならない。「主の憐れみは豊かだから、数多くのわたしの罪は赦される」と言うな。主は、憐れみだけでなく、怒りをも持ち、その激しい怒りは罪人たちの上に下る。速やかに主のもとに立ち帰れ。一日、もう一日と、引き延ばしてはいけない。主の怒りが、突然やって来て、裁きの時に、お前を滅ぼしてしまうからだ。人を惑わす財産を頼みとするな。いざというとき、何の役にも立たない。

福音朗読  マルコによる福音書 9:41-50
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」

祈りのヒント
塩は体液の塩分濃度やpH値を調整するなど、私たちの体内システムの働きを守り、維持している。塩は生命維持に不可欠であるが、体内で作り出すことはできない。塩は絶えず体外から摂取しなればならない。「自分自身のうちに塩を持ちなさい」とイエスは言われた。毎日いただくわたしの内なる塩は聖書の御言葉。神の語りかけをいつも心に留めておくことができますように。
(毎日のみことば 2019-02-28)

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