9月13日 聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士

第一朗読  一 コリント12・12-14、27-31a

(皆さん、) 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。

福音朗読 ルカによる福音 7:11-17
(そのとき、)イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

祈りのヒント
息子を失い、泣き崩れる母親の深い悲しみの心は絶望の闇。まわりの世界も、イエスの姿も、何も見えないだろう。
「もう泣かなくてよい。」
人の嘆願を受け入れてではなく、イエスご自身の深い憐れみの心が、自らを介入させていく。
死に近づき、死に触れ、死に立ちはだかり押し止めて、向きを変え、死の支配から解放させる。新たな神の命のなかに「起きなさい」と、神の恵みへと導く。
悲しみを終わらせるこの言葉を、わたしたちも正面から受け取ろう。死ではなく、神の支配を生きる恵みのうちに、希望をもって生きていけますように!
(毎日のみことば 2022-09-13)

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