9月16日 聖コルネリオ教皇 聖チプリアノ司教殉教者

第一朗読  コリントの信徒への手紙 一 15:12-20
(皆さん、)キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

福音朗読  ルカによる福音書 8:1-3
(そのとき、)イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

祈りのヒント
イエスにいやされ、自分を取り戻した女性たちが、笑顔で、生き生きと立ち働いている。イエスが、生きる拠り所になり、イエスに支えられながらも、イエスを支えることができる!その嬉しさ、愛の溢れの応答が奉仕となり、奉仕がさまざまな人を結びつけ、宣教を支える陰の力となっていく。
福音宣教は神の愛の無償の奉仕、その応答は神の国への参与の道。どんな小さな協力も、イエスが神の国に必要なものとして受け取り、役立たせてくださる。
イエスに生きるこの一日を、感謝のうちに惜しみなく、自分の賜物を精一杯捧げて生きてみよう。
(毎日のみことば 2022-09-16)

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