9月23日 聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭

第一朗読  コヘレトの言葉 3:1-11
何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時植える時、植えたものを抜く時 殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時 泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時 石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時 保つ時、放つ時 裂く時、縫う時 黙する時、語る時 愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

福音朗読  ルカによる福音書 9:18-22
イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」

祈りのヒント
弟子たちは祈るイエスのそばにいた。イエスの「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われ、ペテロは「神からのメシアです」と答えた。
イエスのそばで、イエスと語り合いたい。私たちの喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。
そのときのイエスの言葉から何をいただけるだろうか。祈りの中で見出したい。
(毎日のみことば 2022-09-23)

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