祈りと生活
社会的次元における意識の究明のポイント
- 最近、自分の使命感を強く感じるようなことがあったでしょうか? 
 祈りを通して? 出会った人々を通して?
 テレビやラジオを通して? 新聞を通して?
 受け取った手紙を通して? 仕事を通して?
- 自分自身から出て、孤独な人、勇気をなくした人、悲しんでいる人、必要なことにも事欠く人、見知らぬ人、病気の人などに関心をもつようになっているのを感じますか?
- 今、どのくらい社会的な関心事が、自分の考えや活動の中に比重を占めているでしょうか? 
 この関心事を他の人々に伝えたり、分かち合おうとしているでしょうか?
 家庭で? 職場で? 娯楽の場で? サークルで?
 学校や大学で? 人々とともに祈る場で? 談話や会議の席などで?
- 今日の出来事や出会った人々を通して、いかに自分が社会の構造悪に組み込まれているかに気づかされることがあったでしょうか?
 どのような人々を通して? どんな出来事が? どんな本が?
 どんな映画が? どんな歌が? どんな記事が?
- 経済構造の罪深さを指摘し、批判することをしたでしょうか?
 収入の不平等について? 住宅問題について?
 贈収賄事件について?
 このようなことについて私は祈ったり、何らかの行動を起こしたりしているでしょうか?
- 正義、寛容、平和、愛‥‥などの価値を大切にする神の国を建設しようとしているでしょうか?
 それとも、教会の建物の方に関心があるでしょうか?
- 今日、どのような貧しさ、犯罪、差別、搾取などに出会ったでしょうか?
 また、それに対してどのように反応したでしょうか?
 自分自身や他の人々の意識を目覚めさせるような、何らかの機会が与えられたでしょうか?
 私は、どのようにこの機会を用いたでしょうか?
- 不安を感じている人を元気づけたでしょうか?
 快適な生活に安住している人にチャレンジしたでしょうか?
 それとも波風を立てまいとして、彼らに迎合したでしょうか?
- 私の自由な選びは、どこに私をみちびいていくでしょうか? 
 貧しい人々や困窮している人々の方へ?
 あるいは、富める企業によって与えられる快適さと満足感の方へ?
 使徒職で裕福な人々とかかわる時、私は、彼らが恵まれない人々とその富を分かち合わなければならないということを悟れるよう、啓蒙する機会をつかんでいるでしょうか?
- 私の仕事はこの社会の問題にどんなインパクトを与えていますか?
 農村社会には? 都会の生活には? 労働者には?
 若者には? 教育には?
- 祈りの生活において、詩編の中で “正義は生活の公正さにとって重要である” と言われていることを思い起こすことがありますか?
 私は典礼や信仰講座、黙想会などで、そのようなテーマに関する大胆な新しいアプローチを取りたいと思いますか?
 私の書く記事についてはどうですか?
 また、私の講演や会話は?
 それらには意識化への視点がありますか?
 秘跡が表している現実を見出すことなしに秘跡主義に陥っていることはないでしょうか?
- より大きな意味での教会の中で、どのように神のはたらきを意識できるようになってきているでしょうか?
 他の様々な教会や信仰では?
 自分の国では? 他の国では?
 このことはどのように私に影響を与えているでしょうか?
Alwyn Fernandes, GROWING IN LOVE より
(生活の霊性-生活の霊性 6)
