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7. 一粒の麦になって

 5月から6月にかけて約3週間、仙台でボランティアをさせていただきました。私に与えられた仕事は一日の大半パソコンの前に座り、全国から来るボランティアの方々が安心して活動できるように保険加入のためのデータ入力をし、その合間にベースに向かうために到着したボランティアに出発前のオリエンテーションをしたり、終えて帰途につく前に立ち寄られた方から現地の状態や体験したこと等の聞き取りをすることでした。手が空いたときは物資の仕分け等もしました。

 初めの2~3日は寝袋を背負い現場(ベース)に向かうボランティアを送り出しながら、私自身はベットのある部屋を与えられたことに、戸惑いと申し訳ない気持ちでした。また被災地のボランティアに来たのに被災者と接することもなく、夜部屋に戻ると、持参した真新しい軍手を見つめて、何かやり足りないものを感じていました。

 一週間後、一日休みをいただき、石巻ベースを訪問しました。そしてベース近くの津波による被災地に入った時の何か不思議な感覚を今もはっきり思い出すことができます。そこは3月11日から時の流れが止まっているかのようでした。物音もないモノクロ写真のような風景に、人影はもちろん、生命を感じるものが無く、延々と続く巨大なゴミ捨て場のようでした。もう3ヶ月も経ったというのに何も手が付けられていないかのようです。朝ベースに向かう車窓から行きかう自衛隊の車を多数見たのに、ここには10万人投入されているという自衛隊員の姿はありません。私はやっと事態の広範さ、深刻さに気づきました。とにかく多くのボランテイアが必要だということ。そして今私に与えられている、ボランティアの方々を後方支援する仕事の大切さを理解しました。自分の達成感が得られることを望むのではなく、神様の手に握られた一粒の麦になって、神の望みが実現されるよう祈りつつ、自分の望みから自由になったとき初めて、被災された方々に貢献することができるということを。

 翌日からまたこれまでと同じようにパソコンの前に座り、事務処理に追われながら、私の心は最初の1週間とはまったく違っていました。新しいボランティアのデータを入力しながら、まだお会いしていないその方の被災地までの旅路の安全を祈り(なぜなら多くの方は料金の安い高速バスを利用するので長旅になります)、良い出会いと体験ができるよう、また何よりもこの方たちによって被災された方々が希望を持つことができるように祈り、一人のかたの入力終了のENTERキーを押す時には「アーメン」の気持ちを添えました。すると不思議なことに数字と文字のデータでしかなかった方の温かいお人柄が見えてくるではありませんか。また個性的で豊かな体験を持ったスタッフの方々と共に働けたことは私の宝となり、これらの出会いこそ神様からの贈り物だと思いました。平凡で引っ込み思案な私のようなものでも、神様はその思いを実現なさるために使ってくださる。何か役に立てるだろうかと思いつつ出かけたのですが、感謝のうちに終えることができました。

50代修道女 東京在住

(特集-だれかのためにできること7 2011/8/12)

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