アーカイブ

8. 戦争後の和解

 イラク戦争の激しい戦いが終りました。しかし、今もなお、世界の人々は戦争から生じるさまざまな問題に対して、恐れや無力感、絶望感を抱いています。戦争が終ると、戦っていた人々が勝利者と敗北者に簡単に分かれてしまう危険性があります。そしてまた、圧政に苦しめられていた人々の喜びの姿も見られます。しかし、戦争の傷跡を見れば、空爆によって破壊された考古学博物館や国立図書館、無数の病院、‥‥。イラクに残っている貴重な世界遺産の破壊と略奪、負傷した人々を手当てする所もない悲惨な状況、大切なものを失った苦しみや痛みや怒りに耐えられない国民、‥‥。
 戦争が始まる前に和解の糸口を見つけることが大事でしたが、戦争が終った今でも、和解する心を持つことが重要です。
 和解することができるためには、お互いの立場を超えること、また、争いの仲裁者や調停者が必要になります。時のしるしを敏感にとらえた教皇ヨハネ23世は、すでに40年前に「地上の平和(パーチェム・イン・テリス)」という回勅の中で、まさにこのことを指摘しています。それは、一つの国に属していることは、人類の家族に属さないという意味ではなく、すべての国が世界というコミュニティのメンバーであるということなのです。したがって、一つの国を超えて全世界に及び、すべてのものに認められる、力ある権威が必要です。理想的なものにはなっていないのですが、現在その役割を果たすのは、国連でしょう。
 米英軍は、イラク戦争を始める前に国連を無視しましたが、現時点では、少なくとも国連の指導に基づいてイラク復興の方法を考える必要があります。
 和解するために、双方の過ちを認め、お互いの権利を認めなければなりません。
 戦争が始まったとき、教皇ヨハネ・パウロ2世は厳しく指摘されました。「外交努力を放棄し、平和的な解決を断念する者は、だれでも、神と歴史に対して、自身の決断について申し開きをしなければならない」と。アメリカもイラクも、神の名において戦いましたが、良心の呵責に耳を傾けようとしなかったと言えるでしょう。少なくとも、世界のほとんどの国からの叫び声を聴こうとしなかったのです。これから、歴史の厳しい裁きを受けなければならないでしょう。それは、おそらく今後実施される各国の選挙の日に、それぞれの国民が一票を投じるとき、このことを必ず思い出すに違いありません。
 戦争後の和解への道は、適正な法律のもとに進められていくべきです。その時、力の法律であってはなりません。強い国が勝手に定める法律の前に、弱い方がそれに追従するという状況をつくってはいけないと、声を大にして叫ばなければなりません。そして、国と国との間の問題は、お互いの理解と国家間の折衝によって得られる決議に基づいて解決されていくように祈りたいのです。

(特集-和解 8 2003/4/18)

ページ上部へ戻る