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1. 情け

 「旅は道づれ、世は情け」ということわざがあります。人生の道を歩むとき、仲間がいるのはありがたいことです。たとえ困難にぶつかっても、あるいは自分の弱さに負けて過ちを犯すときでさえも、自分を受け入れてくれるような寛大で情け深い人は、何にもましてありがたいものです。
 情け深い人は、他人の苦しみ、悲しみ、悩みなどを、その人の身になって、自分のことのように思う人です。
 福音書には、周りに集まってくる群衆を憐れに思い、助けるイエスの姿が、たびたび描かれています。
 「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる」(マルコ8:2)。こう言って、イエスは、パンと魚を増やして人々に与え、食べさせてくださいました。
 また、「飼い主のいない羊のような有様(ありさま)を深く憐れみ、いろいろと教え始められ」ました(マルコ6:34)。
 イエスは最初から、貧しい人、弱い人、目の見えない人、囚われている人、圧迫されている人、病気の人、疲れた人を受け入れ、いやしてくださいました。これはメシアとしてこの世に来られたときの心でした。
 二千年前に、世界が戦争や争いや災いに悩まされていたとき、イエスは父なる神の憐れみを表すためにこの世に来られました。
 イエスは、疎外されて貧しい生活を送っていた人々の間に生まれ育ち、その人々の身になって、彼らの痛みを味わい、深く共感して、彼らを救うことができました。
今でも世界のいたるところで、対立と争い、戦争と災いが人の心を悩ませています。困っている人の悩みを自分のことのように思うイエス、あるいはイエスのような情け深い人が、この世界に必要なのです。
 クリスマスを前に、私も置かれている場で、そのような者になりたいのです。

特集-コンパッション 1 2003/11/28)

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