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20. 「吾輩ハ蠅デアル」

 吾輩はハエである。名前はまだない。この夏、人間が被災地と呼んでいるところで生まれ、おいしそうな匂いに誘われて、ご飯時に集まるボランティアとかいう人間の出入りを眺めつつ、そのおこぼれを失敬しながら生活している。夏の最盛期にはペットボトルの中に入れられた液体に誘われ、またあちこちにつるされたベタベタの茶色いテープに、多くの仲間たちが命を落とした。吾輩はその中から生き残った一匹であるが、命の危機から脱したわけではなく、未だ人間には邪魔者扱いされ、あちこちでパチンパチンと追い回されること常である。
 さて、吾輩が住まいとするベースには、毎日いろんな顔ぶれが並ぶ。ある時は30人以上、あるときは5人の時もあっただろうか。東京とか神奈川とか、大阪とか福岡とか…、吾輩が行ったことも見たこともない土地から、日本人はもちろん、ブラジル人やフィリピン人などの外国人も集まって来た。人間とは不思議なもので、今まで一度も話したことも会ったこともないのに、皆よくしゃべり、よく食べ、よく笑い、よく寝るのだ。まるで家族のように。初めてで不安そうなお姉ちゃん、ちょっとふてくされたお兄ちゃんが来ても、不自由な中で寝食を共にし、労働を共にすることで何か不思議なパワーが生まれてくるのだろうか。帰る時の顔は別人のように生まれ変わっている。それは仲間を得た喜びだろうか。自分にも何かが出来るという自信だろうか。普段は目に見えないが、時折垣間見られるボランティアの実りではないかと、何人も見送りながら考えさせられたものだ。皆それぞれ自分の場に帰った後どうしているだろうか。実りをそのまま腐らせて、吾輩の仲間たちの餌にしてしまうことなく、多くの人間に分かち合われ、伝えられているだろうか。
 このベースではカトリックの神を拝んでいるようだ。信者もそうでない人も集まっているようだが、いつも祈りの声が聞こえてくる。しかしここだけの話だが良いことばかりがあるわけではないようで、仲間のハエに聞いたところ人間の集まりにはごたごたがつきものらしい。キリスト教では悪魔は分裂を、神は平和を望むらしいが、悪魔はここでも人間の善意に付け込んでわるさをしておるようだ。こういう時は謙虚になるのが一番だが、人間とやらはそもそも謙虚さが足りない。せっかく良いことのために集まっているのだから、自分の限界を無視した意地の張り合いはやめればよいのに。まぁそうやって冷静さを失うことが悪魔にとってはおいしい所らしいが・・・。時に吾輩はそんな人間たちの頭の上を飛び回って教えてやろうとするが、片手で追い払われるのがおちである。先日はハエ叩きが登場し危うく怪我をする所であった。
 ここで一人ひとりの働きを見ていると、実に多種多様な人間が集まっている。作業の段取りをうまく進める者、細かいところに気を配れる者、地道に辛抱強く働く者、聞き上手の者、ムードメーカーなどなど。ハエの仲間にもいろいろいるが人間はもっと複雑だ。しかしここに集まっている人たちには共通のものがある気がする。それは「誰かのために自分に出来ることがあれば」という思いだ。大きなことではなくても自分に今出来ること、それをするために集まっている。その思いはとても熱い。そしてその熱に浮かされた人間の出す力は通常の力を超えたものへと変えられている。仲間がいればそれは数倍にもパワーアップするようだ。人間とはご苦労なものだ。ただでさえ暑かったこの夏に、さらに熱い思いを持った多くの人がここに集まったのだ。大量発生した我々ハエにも苦労をしながら、冷房もなく扇風機も足りないこの場所に・・・。
 これから被災地は寒さに向かう。東北の冬は厳しい。せめてこの人間どもの熱い思いを、皆がリレー式に引き継いでいくことで、これからの東北の冬を温めてもらいたいものだ。

二〇十一年夏生まれ 名無しのハエ

(特集-だれかのためにできること20 2011/11/11)

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