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9. 「声」
何を「揺すった」のでしょう、何が「飲み込まれた」のでしょうか、そして「流された」のは歴史や希望だったのでしょうか。
「言葉にできない」と・・目の前の現実を遠ざけたい強い衝動が生まれ、自前の感じ方を「自責の念」で封じ込めてしまいたいほどでした。カリタス・ジャパン塩釜ベースでの7日間のボランティア体験でした。 助かった人と亡くなった人の境目はどこに、駿河湾沖でなく三陸沖だったのはなぜ、生き残った私たちに何か課せられていると感じ続けてそのように問うのかもしれなかった。
生き続けていく中で、決して自らは望まないような苦悩に直面することがあります。自分の望みや計画とまったく違う「災い」です。それ以後の生活を一変させてしまう「信じたくない現実」です。
震災後、3ヶ月を経て「家を片付ける気持ち」になった人。息子を亡くし自分は遠方にいて大きな被害に遭わず「泣くことができない」人、一切のものを処分してほしいと願っていました。そんな悲しみや苦しみの只中にある人のところに「黙って側に居る」のは容易いことではありません。
励まし、慰め、効果的に「助ける」ことができる自分でありたい願う「自分の望みと計画」も被災して倒壊して「ガレキ」になってしまうのでした。
遠くから来ていただいて「ありがとう」「何のお返しもできなくて」何度そのように声をかけられたろうか。私も感謝の気持ちを表現する相互的な関係をどうして作っていけるのだろう。共有した時間の中で「変えられていった自分たち」を共に見出す時「いま、ここに」感謝できはしないだろうか。
口にしてはならない「希望」。でも、そう思い定め忍耐していくしかない崩れそうな日々にかろうじて明日が見えるかもしれません。
「元に戻してほしい」と願うそばから「信じたくない現実」に根をはり、そこから養分をすいあげ成長していく以外にないと、言葉がこぼれる日が来ることを念じます。
悲しみを忘れ、消し去ったりできないけど、悲しみを抱えながらでも歩いていける。
「変わらないものは無い」という明日への希望は、揺すられ、飲み込まれても流されはしない。
打ち砕かれた魂に あの人の声がかすかに届くよう。
60代 男性 静岡県在住 もうおじいちゃん
(特集-だれかのためにできること9 2011/8/26)