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12. いまわたしにできること
「こどもたちのいのちを守らなきゃ!」。3月11日の午後、お昼寝の時間が終わって遊びだしていた子どもたちを、必死で室内の中央に集め布団で覆った。保育園ではいつもの避難訓練の通り子どもたちを避難させ、保護者がいつでも迎えに来られるよう体制を取った。こんなに大きな地震の震源地は?テレビを付ける頃には、もう津波がやって来ていて映画のような現実が報道されていた。「もう止めてくれぇ―!誰か止めてくれぇ―!」と叫ぶ声が生々しく心に残った。
その後4カ月目に、やっと被災地に行くことができる機会を頂いた。何が出来るわけでもなく、ただ側にいたい、という気持ちからだった。希望がかなっていざ仙台へ出掛けたものの大事な住所を書いた紙を忘れて行った。こんなことはいつものこと。交番を探して、20分ほど三人のお巡りさんに探してもらった。やっとのことでカリタスジャパンの仙台サポートセンターに着きオリエンテーションを受けると、すぐバスに乗った。行先は釜石だった。
釜石ではボランティアとしての仕事もあったが、一番やりたかったことがあった。それは、被災地を巡りながら、ここで亡くなっていかれた一人ひとりのことを思いつつ、心よりそって祈ることだった。その時の恐怖、苦しみ、痛み、悲しみ、喘ぎ、大切な人への思い・・・ベースキャンプを出てすぐ下の道路から左へと自転車を走らせた。「海岸はどっちだ?」走りながら空を見上げるとかもめ?と思われる鳥が飛んでいたのを見つけてそっちに向かった。今は何もなかったように穏やかな海を見つめた。海の中で亡くなられた方々のこと思いながら天を見つめた。どれくらいの時間をそこで過ごしたのかわからないが、次の活動が待っていたのでベースキャンプへと戻っていった。帰り道によく見えた一つ一つの家。「ここでは絶対に"がれき"とは言わない。なぜなら、それはここに住んでいた人々の財産だったから…」と、被災してからずっと支援活動をしている方から聞いた。大切だったものが今では無造作すぎるほどに山積みに置かれている。思い出はその物の中に、その物とともにあるのだろうか?家の中で亡くなられた方々のことを思い、射祷を唱えながら心を合わせた。
自分の生活の場に帰って来て実感したことは、とても疲れているということ。目に見えて何をしたわけでもないのに、どっと身体が疲れている。何かを抱えて帰って来たかのようだ。これからわたしができること。やはり、これといったことではないが、祈りを必要としている亡くなられた方々のために日々をお捧することかなぁ。私がカトリックの教えの中で一番好きなものが"聖徒の交わり"なのだが、きっと天の国でイエス様や緒聖人、煉獄の霊魂たちも忙しくしているんだろうなぁと想像すると、がんばる気持ちが湧いてくる。復興のために前向きに活きている方々とともに。
40代 女性 東京在住 リンリンさん
(特集-だれかのためにできること12 2011/9/16)