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5. お祈りとエコライフ

 環境の問題はキリスト者の霊性と関係があります。暮らし方が神との関わりからはじまり、それを基本として営まれますから、お祈りを抜きにしては成り立ちません。
 人間関係も自分自身の課題として捕らえ、御心に照らして内省しますから、倫理性が絡むのです。
 自然環境との関係も同じです。神が「これを見て良し、とされた」自然界との関わり方ですから倫理性が生じるのです。どのように賜物を用いるのが御心に適うのか、と考えます。環境破壊や資源のむだ遣い、動物虐待などは、神との関係の中で、是非が問われます。
 キリスト者の霊性は、自覚した神との関わりの中で、時と場所を変えながら、相手との関わりを、「互いに愛し合いなさい」に基づいた関係にしますから、自覚のない生活やぼんやりした態度からは、霊性が生まれません。たとえエコ・ライフを、ファッションとしてはできても、霊性からの生き方にはならない、と私は考えるものです。
 私たちが黙想で、すなわち聖書の言葉や教会の教えで養われるなら「キリストのように考え、キリストのように行う」ものとなります。キリストのまなざしに視線を合わせて、周囲を眺めるなら、社会が「神の思い」とは違う現実にあることに気づきます。「深く憐れまれた」主にならって、行動を起こすことになります。
 キリスト者の自然環境との関わりは、祈りに養われたまなざしが、あるか無いかの問題でもあります。宗教を否定し、信仰なしの環境問題の取り組みは、エコロジストにはなれても、霊性による生き方にならないと、私は考えます。
 危機意識は必要ですが、むしろ御父にはじまり、イエスさまが示された態度のうちに、私たちの取るべき態度をみるのです。ですから人権問題や正義と平和にも、同じ態度でのぞむことになります。
 環境問題が叫ばれるから、取り組むのではないのです。環境汚染の被害を受けてから、叫び声をあげる人もいます。これは普通の態度です。しかし、キリスト者の霊性としてみるなら、神との関係から見直します。被害がなくても、行動を起こします。
 環境問題も、隣人愛の不足に原因があるのです。造られたものを、兄弟の愛で十分に愛さないことが問題なのです。心での祈ることがないかぎり、愛は大きくなりません。
 言葉や態度には、心の態度や姿勢が、関係します。心にも環境倫理がないかぎり、自然環境はますます悪化していくでしょう。
 神が「見て良し、とされた」世界を見てみましょう。御心にかなった世界でしょうか?どのような暮らし方をするか、それが課題です。

戸田 三千雄 (フランシスコ会司祭):
国連のNGOフランシスカンズ・インターナショナル日本支部所属。 黙想の家での祈りの指導、養成の仕事を経て、現在群馬県高﨑教会担当。 アシジの聖フランシスコの霊性から環境問題について外部へ働きかけ活躍中。



(特集-地球環境 5 2002/9/27)

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