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へルマン・ホイヴェルス神父
ドイツの農村で生を受けたヘルマン・ホイヴェルス神父は、イエズス会宣教師として1923年、33歳で来日した。関東大震災の後、しばらく岡山で司牧をしていたが、間もなく東京に呼び戻され、上智大学で哲学とドイツ語の教鞭を執りながら、岩下壮一、吉満義彦らと共に学生の指導に力を注いだ。戦後は大学で教鞭 を執り続けながら、新設された麹町教会(聖イグナチオ教会)の主任司祭として司牧に献身し、晩年は名誉主任司祭として、32年にわたり宣教と司牧に従事した。
ホイヴェルス神父のお話に感銘を受けた、と言う人は多い。彼は日本の伝統や精神性を尊敬し、こよなく愛した。日本の文化が持っている深い精神性が、キリストの伝える愛と深く結びついていることを洞察していた。彼が日本語で書いた書物も十数冊にのぼる。
ホイヴェルス神父は、日本人の心をよく表し、長い説明なしには外国語に翻訳することが困難な日本語として三つの言葉を挙げている。「いただく」「捧げる」「落ち着く」という三つの言葉である。彼はある対談の中で、神道と仏教に培われたこの三つの言葉の深さを次のように述べている。
「『いただくとか、いただき』。これはてっぺんとか頂までも、尊敬深く贈り物を抱き上げること。それから自分のものにする。『捧げる』は、反対にこっちから何か支度して、何かあげる。尊敬深く深い愛をもって。そしてこれによって人間は、世の中に、あるいは存在に於いて『落ち着く』。『落ち着く』は、人生は世の中で 落ちるものであり、落ちてどこか絶対的なものに着く。それは堅い意志ですか。優しい神のみこころですか。…」
そして彼はこの三つの言葉が人の人生の歩みを表していると指摘している。
「人はまずいただく仕事をしなければならない。赤ちゃんはまずいただきます。親から。そして学校で学生たちはものを、知識の宝をいただいて自分の心を養います。いただくことによって20歳ぐらいの人になったら、自分から進んで家庭の中、また社会の中に自分を捧げなければならない。これは一生終わるまでですね。こうして人間の心は満足し、落ち着いて神のみこころに至ります。」
ホイヴェルス神父はまた、ブラジルに移民する日本人の世話に心をくだいた。当時、ブラジル、サンパウロ州に向かう日本人移民のほとんどがカトリック信徒ではない中で、彼はローマ教皇庁からブラジルへ移住する日本人の面倒を見るよう依頼され、上智大学の任務を兼任しながら、毎月1、2回夜行列車で神戸に赴き、翌日は移住者を集めて話をし、パンフレットを配り、その夜の夜行列車で帰京、翌朝には教壇に立つという生活を3年間続けたのだった。
ホイヴェルス神父は1977年、87歳で天国へ旅立った。
「日本国民から、全世界に対するいろんなたまものがあって、それを私は世界に配りたい」
彼の手で洗礼を授けられた人は3000名を越える。そして日本を愛した宣教師の心は、今も上智大学や聖イグナチオ教会をはじめ、各地に息づいている。
(特集-司祭 5 2010/5/14)