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2. マリアの徳

 第二バチカン公会議の『教会憲章』は、マリアの徳について次のように述べています。
 「教会は聖なる処女において、しみもしわもない(エフェソ5・27参照)完成にすでに到達しているが、キリスト信者は、まだ罪を克服し聖性において成長するように努めている。したがって信者は、選ばれた人々の全共同体に対して諸徳の範型として輝くマリアを仰ぎ見る」(65)。

 キリスト者がマリアから学ぶ徳を、次の三つの点に要約することができるでしょう。
 ①:神の言葉を心に納める態度
 ②:神の招きに「はい」と答える態度
 ③:キリストのように奉仕する態度

 まず、マリアは、一生をかけて神の言葉を受け入れ、観想した信仰者でした。受胎告知から十字架の下に至るまで、マリアはいつも「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19)のです。いま日本でも話題になっているレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の画には、マリアが聖書を読みながら祈っている場面が描かれていますが、それはマリアが日常生活において祈りを実践していた人であったことを示しています。

 次に、マリアはいつも神に「はい」と答える準備ができていました。神の呼びかけに対する準備性(readiness)と自発性(spontaneity)と心の自由(inner freedom)を表す態度です。マリアは自分の信仰体験の中で、「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになる」(ローマ8・30)ことを深く信じていたのでした。
 ローマ・カトリック教会では司祭叙階式において、候補者は叙階の直前に司教からいくつかの質問を受け、それに対して「はい」と答えますが、このことは、マリアが実践した準備性と自発性と心の自由を、象徴的に表しているのです。また、すべてのキリスト者は、毎日「主の祈り」を唱え、「みこころ心が天に行われるとおり、地にも行われますように」と心から祈るのですが、それはラテン語でFiat voluntas tua(あなたのみ旨が行われますように)と表記されていて、マリアが天使ガブリエルに答えた祈りと同じものなのです。

 さらに、マリアは祈りだけではなく、実際の生活における「奉仕」の徳を生きた方でした。例えば、身ごもったマリアは、親戚のエリサベトのところに行って奉仕したと記されています(ルカ1・39-56)。周囲の人が困っている時には、その状況をよりよいものとするために、積極的に働きかけることもありました(ヨハネ2・1-12のカナでの婚礼を参照)。イエスは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20・26)と命じています。ローマ・カトリック教会では、伝統的に、教皇職は「Servus Servorum」(僕たちの僕)であると理解されてきましたが、それはイエスが命じ、マリアが実践したことを表しているのです。イエスは最後の晩餐で、奉仕の精神を生きることこそ信仰の大きな喜びであると語り(ヨハネ13・17)、マリアこそ、その奉仕の喜びを知って、それを実践した信仰者でした。

(特集-聖母の月 2 2007/5/4)

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