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3. 命に和解を
同時多発テロ。
真っ青に晴れわたる空をバックに、マンハッタン一高いビルに飛行機が突っ込む。
‥‥‥
わたしの夫は、あの事故で逝ってしまった。
2000年、紅葉の美しい時期に、わたしたち家族は、夫杉山陽一の富士銀行ニューヨーク支店勤務のため、息子二人を連れて越してきた。
大学の三学年下の後輩である夫と結婚し、もうすぐ十年を迎える。長男太一は三歳、次男力斗は一歳とすくすく育ち、お腹の中には小さな命がいた。
歴史的大惨事に自分が巻きこまれたという事実。これはまた実際経験してみないと起こり得なかった変化を、自分の中に引き起こしていた。
10月7日、テロへの報復としてアメリカはついに戦争への道を選んだ。アフガニスタン空爆の映像を毎日繰り返し目にする日々がやってきた。そう、わたしはもうテレビの中の恐怖を他人事とはとらえられなくなっていたのだ。あの9月11日を境に、空爆をうけているアフガニスタンの人々と、無意識のレベルで同じ恐怖を共有していた。
いままではテレビの中の惨事を見ても、その被害をうけた人々の大変さを思っても、他人事の域は越えられてはいなかった。どこかで、自分とは無縁の恐怖ととらえていたけれど、いまは明らかにちがう。
あの9月11日、自分の身に画面の中の恐怖がほんとうにふりかかり、映像の恐怖とわたしの中の恐怖がつながった。もう他国の戦火の下で逃げ惑う人々の恐怖を、他人の恐怖とは思えない、まさに自分の恐怖なのだ。
子供を抱えている人、どんなにか不安だろう。お腹に赤ちゃんを宿している人だっているはずだ。そして愛する人を失ってしまった人。どんなにか深い悲しみと恐怖の中にいるだろう。
もういや、もう一人としてこんなつらい思いをする人を増やしたくない。もうたくさん、こんな思いをどうかもう‥‥‥誰もしちゃいけないよ。平和を‥‥‥永遠の平和を‥‥‥
心の底から願うわたしになっていた。
このところ、ますます世界情勢は不安定になってきている。
アジアもまた、テロの舞台になってしまっている。なぜ、そうまでして他人の命を奪いたいものか。おおがかりなテロ行為は、国の威信をかけて立ち向かうしかない、と世界中がそんな傾向になってきているようだ。
ロシアの劇場占拠事件でも、人質が多数命を奪われた。多少の犠牲は、このての事件にはつきもの。まずは、テロに毅然としてたち向かうべき。そういった声を聞くにつけ、そこで命を落とすことになった人やその家族のことが目に浮かび、どうにもやりきれない。どうしようもない、どうにもならない、そんな言葉のかげで涙をのむ人間の気持ちは、どこへいってしまうのであろうか。
人は、途中でわざわざ命を奪わずとも、時がくれば、ちゃんと天に召されるようにできているのだ。殺したいほど憎い相手も、時がたてば死んでしまう。そう思えば、憎しみも癒えるはず。
命が今後も脈々と受け継がれていく世が、永遠に続くことをせつに祈るばかりである。
最後に、本を書いた理由を話してくれた。「子供たちに書き残しておきたかったのと、どんな困難でも、きっと立ち直れるというメッセージを伝えたかった。肉体は奪われても心は奪われないぞって。」(2003年1月4日朝日新聞掲載)
(特集-和解 3 2003/3/14)
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