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4. 安らかに暮らす人

 昔ちょっと風変わりな友人がいました。彼は、失敗しても不幸にあってもいつも満たされた気持ちで生活していました。その満たされた気持ちを表すために、彼は名刺を作りました。そこには肩書きの代わりに「安らかに暮らす人」と書かれていました。
 彼は度々こう言っていました。「僕はどんな不幸にあっても、心穏やかに生きることができるんだ。なぜなら、僕にはすばらしい世界を見ることのできる目があるから。この目で、夜明けと夕暮れ、青空と高い山、花や青草、そして子供が遊んでいる様子や日向ぼっこをしている老人の姿を見ることができるんだ。それに僕は、心安らぐ音を聞くことのできる耳も持っているんだ。この耳のおかげで、小鳥のさえずりが聞こえるし、若者の笑い声も聞こえる。そして僕は、家族や友だちを愛する心も持っているよ。この心は、周りにいる小さな生き物の生命をも感じることのできる心なんだ。」また時に、彼はこうも言いました。「確かに、いつも居眠りをしていて何も見えない人もいるでしょう。人の厳しい顔や醜いものしか見えない人もいる。うるさい声や人のけんかする声しか聞こえない人もいるでしょう。しかし、この人たちは不幸な人だ。」
 彼が幸せな人生を送った理由はここにあるような気がします。彼は心と体、全身で日常の小さな喜びを味わっていました。そして、人生が終わった後でイエスが永遠の安らぎへと迎えてくださる、という確信を持っていました。それはイエスの言葉を信じていたからだと思います。「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(ヨハネ16・22b)


 

(特集-よろこび 4 2002/4/19)

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