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16. 宝物みっけ!

 私が岩手県釜石市にボランティアに行ったのは、5月の中旬頃のことだった。それまでは、カリタスジャパンの持つベース名が「塩釜」「釜石」「石巻」と(まだ米川はなかった。)、「釜」やら「石」やらで、正直私の頭の中では、どこがどの地名なのか混乱が生じていた。今まで、これだけ広範囲に被害が及んだ地域を「被災地」という一言ですべてまとめてしまっていたのである。
 いざ、釜石に向かって、最初に気づいたのが、私自身「岩手県」とか「釜石市」という文字や音声に敏感になっているということだった。
 ニュースを背後で聞きながら「釜石市の・・・」と聴こえてくると、話しをしていても思わず振り返って見てしまう。釜石ベースからボランティアに向かう「吉里吉里(きりきり)地区」や「大槌町」「女遊部(おなつぺ・おなっぺ)」など、これまで東北には縁のなかった私にも、被災地の一部である岩手県釜石市が身近に感じられたことは大きな体験だった。おかげさまで頭の中の混乱も解消されている。

 もう一つ、被災された方々とふれあいながら感じたことがある。
それは、人間は基本的に「誰かために」という想いを持っているということ。
 ボランティアの多くは、多少なりともその思いを持った人の集まりかもしれない。しかしそれは、ボランティアだけが持つべき思いでもない。
 釜石ベースに集まってくる被災者の多くは、最初はとにかく生きていくために必要な物資を取りに来ていた。そしてそこで、様々な人々との出会いや語り合いが繰り広げられていく。時間の経過とともに、様々な姿が見られるようになってきた。
 多くの物を津波で流されながらも、残された人形や茶碗をきれいに洗って「頂くばかりで申し訳ない。使ってくれる人がいれば使ってもらって下さい」と持って来てくれたおばちゃん、家に閉じこもりきりの友人に思いきって声をかけ、一緒につれて来てくれたおばあちゃん、傍目から見れば、毎日来てごっそりと物資を持って帰る人も、話しを聞いてみると決して溜め込んでいるわけではく、物資を取りに来られない近所の人や、物資の届かない所に住む親戚のためにと、若くもない体にむち打って足を運んで来ている。
 いろんな人がいろんな状況の中で「誰かのために」という思いを持って生きている。それが自分の家族かもしれない。友人かもしれない。あるいはそういうものを超えて、同じ人間であるという、ただそれだけのことかもしれない。いずれにしても、人はどこかの誰かに思いを寄せ、悲しみ、苦しみ、あるいは喜びを共有して、分かち合い、助け合おうとする心を持っている。

 こういう言い方は不謹慎かもしれないが、今まで持っていたものすべてを取り去られたときに、人間の中で輝く本当の光を見せてもらった気がする。お金では買うことのできない本当の「宝物」。その輝きは確実に周りの人の心を照らし、照らされた人の心の輝きをも見せてくれる。
「誰かのために」という思いを、すべての人、被災者も、ボランティアも、行政も、政治家も、皆が持ち続けることによって、一人ひとりの中にある「宝物」が輝く。その輝きがある限り復興への歩みは確実に前に進み続けると信じている。

東京在住 40代女性 やんぎさん

(特集-だれかのためにできること16 2011/10/14)

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