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家族と信仰
私が信者の道に入ったのは結婚がきっかけでしたが、困ったことに洗礼準備の勉強を受けても聖書の中の出来事が全く信じられずにおりました。シスターからは「信じなさい」と言われ、神父様には「結婚式が目前ですから特別に早く洗礼を許しましょう。一生の勉強ですよ。」と釘をさされて授けて頂きました。それから娘を授かり、信者教育をしなくてはいけないのに自分にはお祈りの習慣もないので、教会の幼稚園でお祈りを教えて頂き、先生方から日々の生活で神様の愛を感じながら娘は成長させていただきました。主人は幼児洗礼で育ち、幼少のころは毎晩お祈りをしていたそうで、心の中に「絶対的に神様を信じている」ものを持っています。ミサに毎週行くわけでもないのに、その自信が何故か不思議でした。娘が7歳の時に私の母が癌で亡くなりました。3年ほどの闘病でしたし覚悟はしておりましたが、葬儀が終わった後の悲しみと、喪失感は娘にも伝わったのでしょうか「おばあちゃまに会えなくなるのは寂しいけれど、神様のところにいるから悲しくないのよ。いつまでもママのお心にいるからね。」と慰めてくれたのです。ほんの何気ない言葉でしたがはっと霧が晴れたように心にすっと入りこむのを感じました。
「神様のところにいるから悲しくない」とはなんでしょうか、私にとって本当に救われた一言です。小さな子供が素直に信じている「かみさま」のこと、それによって「救われる私の心」この時が初めて「信じる」ことに向き合った瞬間ではなかったかと思います。
シスターの勉強会に通っていたころは疑いでしか聖書を聴けなかったのですね。「起こるわけがない」に捕らわれて、心が動かなかったのです。私は娘に素直に受け入れる心を開かせてもらったと思っています。そして信仰を与えていたことに感謝しました。子育ては親育てだと聞きますが、まさに神様に感謝して生きる家庭へとなれたわけです。
日々の生活の中で感謝すること、自分と友達を大切にすること、常にそばに神様がいらっしゃると意識できるのはありがたいことです。
平凡な繰り返しのような毎日ですがつらい時は御言葉に助けられながら、ミサに与って悔いあらためとまた新たに生きる力を与えて頂いております。
これが私の信仰告白です。
(50代、女性)
(特集-家族と信仰 1 2012/8/29)