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6. 彩花の微笑み

 1997年の春、私は最愛の娘・彩花を他人の手で奪われるという、これ以上ない苦しみを体験しました。

 一冊目の手記『彩花へ――「生きる力」をありがとう』を出版させていただいたのち、‥‥‥二冊目のこの本をつくったのは、‥‥‥「生と死」の問題にテーマを絞り込み、私がたどった精神の軌跡を皆さんに知ってもらいたいと思ったのです。
 自分の大切な人を失って、ましてわが子を理不尽な形で失って、「運命だったんだ」と納得できるような人はいないと思います。‥‥‥悲しんで悲しんで、涙が出尽くすほど悲しんで、行く着くところまで行く着いたがゆえに、新しい何かを創造しようという気持になれたのかもしれません。
 私の心の中で、何かがゆっくりと変化し始めていました。
 彩花を亡くしてちょうど半年後、九月のある夜、自宅への道を歩いていた私は、誰かに呼び止められた気がして振り返りました。
 そこには、美しい月が輝いていました。
 しばらく、魅入られたように月の光を見つめていたのですが、そこに娘の顔を発見したのです。
 娘は幸せそうに微笑んで、私を見ていました。
 私は、あわてて自宅に走り帰り、夫を呼びました。
 二人で、月を見つめました。夫にも、やがて彩花の顔が感じられたようでした。
 亡くなったときと同じように満面の笑みを浮かべた彩花の声が、たしかに私の心に届いたような気がしました。
 「お母さん。もう悲しまなくても、憎まなくても、ええのよ。」
 夫が、夢中でシャッターを切りました。
 できあがった写真は、どれも黒い空に小さな点が写っているだけでしたが、一枚だけが、金色に輝く胎児のような、不思議な光を見せていたのです。
 私たち夫婦は、なぜか、彩花の生命が幸せに生死の旅を続けていると確信できたのでした。これを境に、加害者の少年に対しての気持ちにも変化が出てきました。
 もちろん、絶対に許せないという怒りは持っていましたが、憎しみの度合いが減り、反対に、何としても人間として蘇生してもらいたいと思うようになったのです。
 たしかに、月は月であり、私たちが彩花の顔を見たといっても、私たち夫婦にそう感じられただけに過ぎません。
 でも、その出来事で、私たちの抱えていたものが大きく質を変えたということに意味があるのです。

 自分の人生に起きる一切の出来事を、自分の生命の奥深い部分に関連づけて、‥‥‥起きてきた現実のすべてを価値あるものに転換する闘いを開始し‥‥‥私は深い悲しみを抱きつつも、今まで味わったこともなかった深い喜びを見出していくことになります。

山下 京子 著 「彩花へ、ふたたび――あなたがいてくれるから」(河出書房新社)より

(特集-和解 6 2003/4/4)

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