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4. 悲しみの向こうに

――生きる希望――

私の大切な娘・彩花は、1997年3月、14歳の少年の凶行で世を去りました。‥‥‥大切な命を喪(うしな)った遺族だからこそ、つたないながらも生命尊厳へのメッセージを発信していくことが私の使命だと思っています。

 A君へ――
 今、あなたに会いたいような、絶対に顔も見たくないような複雑な思いでいます。私たちの宝物だった、たった一人の愛娘を、あんなかたちで奪い取ったあなたの行為を、決して許すことはできません。
 母であるがゆえに、娘がされたことと同じことをしてやりたいという、どうしようもない怒りと悔しさと憎しみがあります。
 その一方で、これもまた母であるがゆえに、どんなに時間がかかってもあなたを更生させてやりたいと願う気持ちがあることも嘘ではありません。
 一見、相反する感情が、私の心の中に同居していて、その割合の比率は日々同じではないまま、不思議なバランスを保っています。
 もし、私があなたの母であるなら……、
 真っ先に、思い切り抱きしめて、共に泣きたい。言葉はなくとも、一緒に苦しみたい。
 今まで、あなたの眼は母である私を超えて、いったいどこを見ていたのでしょう。私の声があなたの乾いた心に届き、揺さぶることはなかったのでしょうか。
 あなたが生まれてくることを楽しみに待ち、大切に育ててきたのだと教えてきたでしょうか。
 思い切り抱きしめて、温かい血の流れを伝えてきたでしょうか。
 そして、あんな恐ろしいことをしてしまうまで自分を追いつめていくことに、どうしてもっと早く気づいてやれなかったのでしょうか。たった一人の母なのに、どうしてわかってやれなかったのか。
 氷のように冷たく固まってしまったあなたの心。そのうえ、それを深い海の底に沈めてしまった。
 でも、深く暗い海底からそれを捜し出し、ていねいにゆっくりと氷を溶かし、ゆったりとほぐすことができるのは親の愛しかない。とりわけ、母の愛が太陽の温かさで包み込む以外に、道はないと思うのです。
 罪を罪と自覚し、心の底からわき出る悔恨と謝罪の思いがいっぱいにつまった、微塵(みじん)のよどみもない澄みきった涙を、亡くなった二人の霊前で、苦しんだ被害者の方々の前で流すことこそ、本当の更生と信じます。
 それまで、共に苦しみ、共に闘おう。
 あなたは私の大切な息子なのだから。

     ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
 少年への思いは、誰に説得されたのでもなく、ごく自然に私のなかに芽生えてきた不思議な感情でした。じっと心の中を凝視したとき、
「そうや、彩花がおしえてくれたんや」
 そう思いました。亡くなってまで、私に教えることを忘れない娘に、ただただ感謝の思いが溢れました。
 ありがとう、彩花。ほんまに、ありがとう。

山下 京子 著 『彩花へ――「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)より

特集-いのち 4 2002/12/27)

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