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5. 日本式の建物

 ヴァリニャーノは日本の慣習に倣い、イエズス会の家の建物もヨーロッパと違った形をとるように、『日本イエズス会士礼法指針』において指示している。
 「同時にカザ(家)には、玄関、茶の湯(飲み水に投げ入れる、ある草木の粉末)および座敷を持つように努めなければならない。しかもこれらの座敷は、すべてカザを建てるに当たって取るべき方法について論ずる際に述べるように、全く日本式に整えられる必要がある。なぜならば、日本式に整えられた座敷がないばかりに、パードレ自身にとっても迎えられる客人にとっても、大変な無礼無作法が行なわれるからである。」
 日本式に整えられていない家ならば、客人に対するだけではなく、神父に対しても無礼になるという見方には、当時のキリシタン達の気持ちが反映している。
 こうした配慮の具体的成果は、迫害が強くなった時、ヴァリニャーノがインドの副王の名代使節として関白と謁見した際に示された。ヴァリニャーノより一足先に日本で宣教を始めていたオルガンティーノはこう述べている。
 「インド副王の名代としてこの使節が巡察師(ヴァリニャーノ)によって挙行されたことは、デウス(神)の御配慮であったに違いあるまい。なぜなら以前は、彼らは我らを疑うべき下賎で卑俗な人間どもと見なしていたが、現代ではそのような意見を全く取り払って、我らや我らの持ち物を待ち望んでいるからである。」
 しかし教会の建物に関しては、同じ『日本イエズス会士礼法指針』において今までと逆の方針も読み取ることができる。
 「教会は我々ヨーロッパの習慣が保たれるように造るべきであって、聖堂は日本人がその寺社を造るに当たり習慣としているように屈曲して建てずに、長く続けて建てるべきである。なぜなら日本の寺院は悪魔の堂であり、我々のものはデウスの教会であるから、教会の形式に当たっては日本の寺院をまねることはふさわしくない。さらに聖堂の両側には、必要な時に扉を開けばいっさいを一体化することができるように、日本式に造られた座敷を設けなければならない。領主たちは彼らの妻たちと同様に、離れた所に静かに居られるようになるであろう。」
 この時代の他の宣教師同様ヴァリニャーノにとっても、他宗教はあくまでも誤りに基づくもので、人間を真理に導く道ではなかった。しかし高く評価できることは、その誤りに基づいたと考えられた組織に、真理に導く道具として使えるものを見出し、その危険性を乗り越えてこれを全面的に受け入れたことである。彼は、すべてのことにおいて日本人のやり方に合わせればよいとも、自分の確信や経験だけに従えばよいとも考えていなかったのである。

(特集-ヴァリニャーノ 5 2006/10/27)

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