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8. 日本語の印刷物による布教の導入
キリスト教を未信者に伝えようとする時、キリスト教の用語とその内容に慣れていない人にわかりやすく正確にそのメッセージを伝えなければならない、という課題がある。日本語の印刷物による布教を広めるに当たって、ヴァリニャーノは以下のように記している。
「人々に祈祷を教え、書かれた教理やその他の霊的読書を読み上げ、また、教会の世話をするために、字が読める『看坊』が教会にいるように努力すべきである。教理を教えるために貧しい良きキリスト者がいるように努力すべきである。そして今後、書かれた教理以外教えないことを注意すべきである。」
誤解を避ける試みとして、当時の宣教師と日本のキリシタンたちは、日本語に訳せない単語をカタカナで書くことにした。例えば Marcos Jorge が書いた“Doctrina Cristam”(1566)の翻訳である『ドチリナ・キリシタン』(1600)では祈りについてこう書かれている。
「師 オラショを申すべき様を教へ給はんためなり。
弟 オラショとは何事ぞ?
師 オラショ我らが念を天に通じ御主デウスに申しあぐる望みを叶へ給ふ道はしなり。」
後に自分の文化の単語や表現を、相手の文化にすでにある類似の単語や表現で訳すという方法が試みられたが、結果を見れば、ザビエルが宣教した時と同じような誤解を招いたため、しばらくしてからまた前のやり方に逆行した事実が残る。例えば、カテキスタでありイエズス会員にもなった(後に棄教したのだが)ハビアンによって1605年に書かれた『妙貞問答』では、仏教経典や古典文学からの引用によって神についての解説がなされている。そこにはヴァリニャーノの影響が充分に見られる。このような様々な試行錯誤の中に、単に「通じればよい」という考えより、「できるだけ忠実に福音を伝えたい」という気持ちが見られる。
宣教師はまた、神にのみ向かう「礼拝」と、聖人への「崇敬」との区別を教えるように心掛けていた。この区別について『ドチリナ・キリシタン』ではマリアへの祈りの箇所で扱っている。ヨーロッパで問題になっていたところを参考にしながら、日本の教会でその問題を防ぐように言葉の使い方や説明の仕方に注意して、以下のように述べられている。
「弟 アベマリアのオラショをば誰に向ひて申し上げ奉るぞ?
師 貴きダウミナ ビル(ゼ)ンサンタマリアに廻向仕るなり。
弟 何事を乞ひ奉るぞ?もし我ら科(とが)の御赦しを乞ひ奉るか?
師 その儀にあらず。
弟 ガラサ(恩寵)か、グラウリア(栄光)をか?
師 その儀にもあらず。
弟 然らばこれらの儀をば、誰に乞ひ奉るぞ?
師 御主デウスに乞ひ奉るなり。
弟 御母には何事を乞ひ奉るぞ?
師 これらの事を求めんがために、御子にておはします御主ゼズ(イエス)キリストの御前にて御取り合はせを頼み奉るなり。」
(特集-ヴァリニャーノ 8 2006/11/17)