アーカイブ

7. 管区長アルペ神父のカリスマ性

 アルペ神父は1954年、日本準管区の準管区長に就任し、1958年、日本準管区が独立した管区になったとき、引き続き日本管区の管区長になった。そして1965年、イエズス会総長に選出されるまで、日本管区長を6年あまり務めたのである。
 アルペ神父にはユーモアのセンスがあった。日本に来たばかりの若いイエズス会員が、日本における使命を有効的なものにするために助言をしてほしいと頼んだとき、管区長アルペは皆を見ながら言った。「野球のルールを覚えなさい!」
 アルペ神父の講演はウイットに富んだもので、ユーモアにあふれ、聴衆はアルペ神父のおしゃべりに笑わされているうちに、キリストに対する彼の熱意と愛が、聴衆の一人一人の心に伝わっていった。彼は身振り手振りを交え、顔を輝かせ、いろいろな言語を用いて話した。彼の話す外国語はいずれも完全ではなかったと言われているが、彼には生まれながらのカリスマ性があって、すべての人と愛情深く交流することができたのである。
 多くのイエズス会員が、アルペ神父は行政に優れていたというより、カリスマ性をもつ指導者であったと認めている。彼の統治の仕方は、人間的な接触を大切にした点に特色がある。アンヘル・セトワイン神父はアルペ神父について次のように述べている。「彼は楽観的で何事にも徹底した。人々を徹底的に信頼した。たとえあるイエズス会員がどんな問題を起こしたにしても、折れたアシを切ってしまったり、イエズス会から追放したりすることを好まなかった。どのような状況になっても人々を尊敬し続けていた。」
 クラウス・ルーメル神父は付け加えて言う。「アルペ神父は自分自身については非常に厳格であったが、人々に対しては親切で、決して人の後ろで何かを言うことはなかった。彼は明快で、謙遜で、霊的で、そして要求の仕方を知っていた。」

(特集-アルペ神父 7 2006/7/14)

ページ上部へ戻る