アーカイブ

3. 観想と対話

 2002年、私は行き詰まりに観想と対話の共同体として取り組むことを始めました。
 過去20~30年間社会正義の運動に積極的に取り組んできた人たち、また教会の中で正義のために働いてきた修道女たち、位階制教会に対して参加・対話・相互性の価値を伝え続け、社会の周辺部に追いやられている女性たちと働くことの意義を説明し、倫理的な価値を軸として世の中を変えて行く役割を果たしてきた人たちに、声をかけました。そして、より正義にかなった教会と社会の実現のために少しも成果をあげていない現実に気づくときの、悲しい無力感と行き詰まりに、観想と対話を通して向き合うことを勧めました。
 行き詰まりを解決するわけでもなく、そこから逃れることも、行動計画や戦略をたてることもなく、そこに留まり、味わいます。そしてとても深い何かが起こりました。個人としても共同体としても、私たちは自分たちが変えられてゆくこと、フラストレーションの原因であったことを新しい見方で見る変化を体験しました。問題との新しい取り組み方、正しいかかわりを尊重し養うやり方、地球と宇宙とのかかわりを養い、不正への新しい抵抗を可能にし、今起こっているネットワーキングを深める招きでした。
 今こそ、イエスの見方を生きるために私たちのイマジネーションを解放し続けて私たちを愛してくださる、神への祈りに委ねるように招かれていると、私は信じています。観想は回心に私たちを招きます。それは行動の回心であり、意識の変革でもあります。無力感から逃げず、解決しようともせず、コントロールしようともしないとき、私たちは、神の愛のエネルギーが癒しとして解放として流れるのを体験し、イエスのビジョンの解放の力を体験します。これは自分自身の内面への深い招きです。心の中に戻り、そこで神と出会う。そこで自分自身に出会う、私たちが誰であるのか、地球というホームのすべての兄弟姉妹とどうつながっているのか、どのようにそこに意味を見出すのか。それは私たちが敬畏、感謝、驚き、奥義、コンパッション、愛を生きることを可能にする心の世界に入ることです。
 合衆国社会は無力も認めないし、そこに向き合うこともしない。けれどもイエスの生き方は私たちに違った見方を示しています。「イエスの死は死を恐ろしいものとするすべてを引き受けた。国家による拷問、身体的な苦悩、すさまじい不正、敵の憎悪、勝利者のあざけり、生涯かけたことが灰燼に帰すこと、親しい友の裏切り、神から見捨てられること、英雄であることをやめる無力」(神学者エリザベス・ジョンソン)。けれどもキリスト者の共同体にとって、ストーリーはここで終わらないのです。死は復活だからです。十字架の無力から、イマジネーションを突き破って新しいビジョンが生まれ、弟子たちは知恵の霊に満たされ、変革の福音を告げるために大胆に歩みだしました。
 意識の変革が私たちに求められているのだと私は信じます。それは私たち一人ひとりが、エゴから神へと回心することを求めています。私たちは観想者として、観想的な共同体として生きなければならない。個人としても共同体としても対話を生きることが、新しい生き方、やり方を想像するために不可欠だと私は考えます。そこから、古い世界観を新しい見方に変える新しい抵抗のあり方が生まれるはずです。
 西洋の社会と教会は、東洋から多くを学ばなければならないと思います。アジアには調和とチャレンジの双方の価値を認めるビジョンがあります。西洋の二元論的な考え方は物事を分けて考え、結びつけることをしませんが、皆さんはこの両方の見方を持って、心―体―霊を一つにする全体的なアプローチの必要を理解しています。つまり陰陽の必要を理解し、奥義のための空間を残すこと。アジアの司教団が、対話を大切にするのは、まだ明らかにされることがあると信じているからです。司教様方は貧しい者と連帯し、証によって福音宣教される。地球の東から西から活動家である私たちにはなすべき多くが与えられています。正義に反する政策に対して抗議の声をあげ、平和を擁護し、公に行動し続けなければなりません。私たちが直面している重要な問題について教育も続ける必要があります。
 けれどこれだけでは、十分でないと今私は考えます。私たちは、これらの取り組みに、観想と対話の共同体としての営みから生まれる新しいあり方で臨まなければなりません。
 新しい世界を夢見ることが大切です。男と女が対等にかかわり、違いが分裂ではなく、いのちにつながるような世界を。父権制を拒否し、アジア、アフリカ、世界中の教会からのユニークな貢献をグローバルに統合できる教会を夢見る。西洋の消費主義、貪欲と市場資本主義や軍事力によって支配されることのない真の相互依存の国際秩序を夢見る。属することが民族、国家、人類さえも超え、この地球という星に住むすべてが一つとなる夢を。
 このような未来を夢見て信じることを可能にするのは、深い観想だけです。それは怖いことかもしれません。正義を求める信仰者として、私たちはより多くの人びとが、ベストの自分になること、神が望まれるような民になるように招く使命を与えられています。このチャレンジは、私たちが自分自身の恐れと向き合う場に、私たちを招いています。私たちが世界の偉大な宗教からその信仰の伝統の素晴らしい泉から水を汲みながら、自分の恐れにしっかりと向き合い、未来に向かってともに歩んで行けますように。

シスター ナンシー・シルベスター(無原罪のマリアの御心侍女会)
全米女子修道会総長・管区長会元会長
「共同体の観想と対話センター」創立者・会長

第30回「正義と平和」全国集会東京大会 基調講演「正義と平和のグローバル化――信仰者への課題」(2004年10月9日)抄訳より抜粋 (その3)

(特集-希望の光 3 2004/12/10)

ページ上部へ戻る