アーカイブ
19. 許された愛に生きて Ⅱ
―江戸の殉教者ヨハネ原主水―
ヨハネ原主水は、下総国(千葉県)臼井城主の子として生まれ、20歳で徳川家康を守る「走り衆の頭」という役職にあった。家康が外出する際も、公式な場所に出る場合にも必ず近くにいて警護しており、背が高く、容姿端麗、戦いでは勇猛な武者として若い時から目立つ存在だった。1612年に教会の信者二人によって起こされた贈収賄事件、加えて彼個人の事情が加わる。「この男(主水)密通の沙汰あり・・御殿に勤める女をたぶらかした。日本では従来まだ一度も聞いたことのない話である。」(ソテロ報告書)そこで主水は行方をくらまして逃亡者となるが、二年後に捕らえられた。 1614年10月16日、主水は安倍川の河原で、両手の指を切断、額に十字架の焼印を押され、うつ伏せにされて腿の筋を切り落とされた。主水は、歩けなくなり、いざるようにして動くようになる。
その後ハンセン氏病者の間で生活し、いつの日かキリシタンの隠れ場、活動の中心地であった江戸の浅草にいた。才気に溢れた青年ヨハネ原主水は、自らが最も貧しい者となり、最も見放されたハンセン氏病者に仕え、信者の霊的世話役として生きた。
しかし、かつて原家の家臣であった者が、銀三百枚の報奨金に目がくらみ、町奉行に主水と仲間の居場所を密告したため、50人が捕縛される。
1623年、12月4日、品川札の辻で、主水と宣教師、信徒を含む50人は、全国から集まっていた大名をはじめ、おびただしい群衆の前で火に焼かれて殉教する。「主水は火焔が襲いかかった時、特別に大切な物を抱き抱えるように焔まわりに腕をまわしたのは、一際人目を引き、大きな勇気を示すしるしであった。彼は始終身動きもしないで立っていたが、遂に柱と共に前方に倒れ、手足を伸ばして大地に横たわったままであった。」(1624年報)
原主水は、すべてを失って「キリストの十字架」と出会い、真髄を悟ったがために「いつも天上の歓びに浸っていた。」(1615年報告書)かつての輝きは何処にも無い生まれ変わったヨハネ原主水は、こうして十字架の愛の証人となった。
参考資料
・キリシタン地図を歩く (ドン・ボスコ社)
・キリストの証人 フーベルト・チースリック著 (聖母文庫)
・恵みの風に帆をはって「まるちれす」編集委員会編著 (ドン・ボスコ社)
・ヨハネ原主水 溝部 脩 (福音宣教2008年1月号)
・ペテロ岐部と187殉教者 (列聖列福特別委員会・編)
(特集-日本の殉教者 19 2008/9/12)