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4. 鳥になりたい(1)
――パレスチナに飛んで行きたい
1948年の第1次中東戦争で難民となったパレスチナ人は70万~90万人、そのほとんどは当時ヨルダン領のヨルダン西岸と、エジプト領のガザ地区、および周辺アラブ諸国に避難した。イスラエル領内で避難を続け、領内難民となった者も少なくない。当時パレスチナに在住していた半数以上が難民となった。
多数の難民発生の原因について、最近の言説では、イスラエル側に政策として組織的にパレスチナ人を追い立てようとする意図があったとされている。二年前に日本人のボランティアの方がイスラエル兵にこのように言われた。「パレスチナ人には行くところがあるじゃないか。他のアラブ諸国に行けばいいんだ。ここにいる必要はない。ここは神によって俺達に与えられた土地なんだから。」パレスチナ難民の多くはこのような考え方の結果だといえる。事実、エルサレム、ハイファ、ヤッファ、ラムレなどの都市部のパレスチナ人人口は激減し、パレスチナ人村落も無人となって、イスラエル側の管理下に移っている。無人となった村落は約400と推定される。
この難民キャンプの鳥とは違っているかも。
ここの鳥をどんなに見ても、
故郷の鳥の色はわからないでしょ?
鳥になりたい。
わたしの願いはパレスチナに飛んで行くこと!」
さて、中東和平、特にイスラエル・パレスチナ問題の解決に国際政治的に希望を持つ今日、パレスチナ難民のことも知らなければならないと思う。
サリ・アガスティン・タラッペル(イエズス会会員・司祭)
(特集-平和への一歩 4 2005/3/11)
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