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5. 鳥になりたい(2)
――散らされたパレスチナ難民
西岸やガザの状況が悪化すればするほど、「パレスチナ・イスラエル問題」は、並びあった二つの領土のあいだでの「紛争」のようにも見えてきてしまう。ユダヤ人の入植活動、軍によるパレスチナ人の家屋破壊、土地の収奪などなど。でも、これらの問題は、イスラエル国内においても1948年の建国後から現在にいたるまでずっと続いてきていることだということを忘れてはいけない。つまり国内難民という問題である。イスラエル領となった地域には、現在約120万人のアラブ・パレスチナ人が住んでいる。イスラエル建国後も、迫害・暴力・差別に耐えながらその場に残った人びと、あるいは「国内難民」(故郷の村を奪われ難民となっても、避難先がなおイスラエル内である場合)となりながらも国外へ政治亡命をしなかった人びと、そしてその子孫たちである。イスラエル国籍を持ち、イスラエルの人口比で約20パーセントになるものである。こうしたアラブ・パレスチナ人らは、国籍を持つ「国民」でありながら、ユダヤ人至上主義国家においては「非ユダヤ系市民」というネガティヴな存在として、はっきり言えば「いてほしくはない人びと」として扱われている。たとえばアラブ人のもっとも多い北部ガリラヤ地方では、長年「ユダヤ化政策」によって、土地の取得や開発について行政許認可による露骨な差別が行なわれ、アラブ人地域の経済活動は農業分野でも工業分野でも阻害されてきた。南部ネゲヴ地方では、ベドウィンのアラブ人の多くの村が「非公認」としていまだに恒常的な破壊の対象となっている。
また、イスラエルによる分断の壁建設で土地を奪われ新たに難民が発生しているという報告もある。イスラエルが「安全」を確保すると言う名目でパレスチナの村や町と入植地の間に壁を建設しているからである。イズベットサルマン村の壁の建設現場近を訪れたボランティアが以下のように報告する。「この地域は西岸で消費される食料の10パーセントを生産し、西岸で使用される水をも提供している。壁が通過するこの村の村長によると『土地が無ければ、私たちは自分の村の中で難民となってしまいます。これは刑務所のようなものです。』 接収されるのはパレスチナ人の土地ばかりだ。」
パレスチナ難民の現状を知り、彼らの痛み、苦しみと共に、希望にも耳を傾けたいと思う。
サリ・アガスティン・タラッペル(イエズス会会員・司祭)
(特集-平和への一歩 5 2005/3/18)