こころの散歩
聖しこの夜
聖しこの夜
わたしの友人に、ニューヨーク大学教授のエズリ・アッツモンというポーランド生まれのユダヤ人がいる。西ドイツで知り合い、今は「おれ・きさま」の間柄である。
彼の両親、兄弟はすべてポーランドでナチス・ドイツ軍に捕らえられ、ガス室で「処理」されて死んだ。少年の彼も貨車に積み込まれて強制収容所に運ばれる途中、列車から脱走した。ひとりが脱走すれば貨車一台の同胞が即座に射殺されることは分かっていた。しかし、彼は、同胞たちのように無抵抗で殺されたくなかった。だから長老のひとりの黙認を得て逃げた。奇跡的にスウエーデンから英国に渡り、英軍指揮下であるイスラエル義勇軍に入り、北アフリカでロンメル将軍の戦車と戦い、イタリア戦線に上陸して北進した。目的はことごとくのドイツ人を殺し、大西洋に叩き込むことにあった。憎しみは、彼を不死身にし、白兵戦でも敢闘した。アルプス近くまで北上したとき、アイゼンハワーの命令でイスラエル義勇軍はドイツ進撃を差し止められてしまった。
ドイツ軍の反撃で、ある日重症を負い、野戦病院に入れられた。生死の境をさまようこと数日,昏睡からさめたのは1994年のクリスマスの日だった。廊下を一人の黒人の兵士が、ローソクを持って静かに歌いながら歩いていた。ドイツ語の『聖しこの夜』だった。『御子の笑みに』という一節が心にしみた。さめてくる意識の中で彼はこみあげる涙をおさえかねた。ああ、憎悪という情熱で、このおれはおそらくこの手でキリストをも殺した・・・、そう思ったのであった。
銀髪のこの年長の友人とわたしは、ザルツブルグ近郊の、この歌のつくられた村に出かけたことがある。川のほとりの静かな丘の上の礼拝堂を前にして、わたしたちは白樺の木陰で、この歌をそっと二重唱で歌った。