こころの散歩
あっ、そうなのか!
あっ、そうなのか!
退役海軍大佐のジェラルド・コーフィは、戦争中捕虜となり、七年のあいだ「三歩四方」の独房にいた。
それでも、この想像を絶する苦しさのなかで、彼がもっとも多く口にした祈りの言葉はこうだった。「神よ、この時間を私の進歩のために使うことができますように。」 そしてその言葉どおり、悲惨な境遇に幸いを見出した。
ほかの捕虜仲間と話をするには、独房の壁を叩き合うしかなかった。にもかかわらず、そうした仲間とともにフランス語を学び、キップリングとシェークスピアを暗唱し、ユーモアのセンスを磨いた。一人で詩をつくって楽しむこともあった。とりわけ気に入っていたのはこんな詩だった。「ぼくのパンのなかの小さなコクゾウムシよ、おまえの頭をかじってしまったみたいだね」
苦しい体験を幸いに変えることができるのは特別の人のように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。何かを失ったとき、私たちの誰もが気づかなければならないきわめて重要なことは、何かを失うことは、新しい何かがはじまる機会を与えられたのと同じだということだ。失えば、あとには空洞が残る。だがそれは、空洞を埋めるチャンスを与えられたということだ。
盲目の偉人ヘレン・ケラーが言った。「幸福の扉の一つが閉じるときは、別の一つが開きます。けれど私たちは閉じたほうばかりながめていて、こちらに向かって開かれているもう一つのほうに気づかないほうが多いのです」
同じことをある禅の師は、「わが家は焼け落ちたが、そのときから月が昇るのがよく見えるようになった」という言葉で語っている。「ああ困った」は「あっ、そうなのか!」に変わるのだ。
アレン・クライン 著 / 片山 陽子 訳 「笑いの治癒力」(創元社)より