こころの散歩

わずかが溜まって

わずかが溜まって

 フランスのある小さな村であったお話です。1週間も続く収穫感謝祭のことでした。 この祭りは村人の手づくりで行われ、食べ物と飲み物は各家庭から少しずつ持ち寄ることになっていました。祭りの広場に置かれたぶどう酒の樽は、各家族が家からぶどう酒を5リットルずつ持ち寄り、みんなで一緒に飲もうという趣向でした。
 さて、お祭りの最終日、村長は樽を開け、ぶどう酒を皆に配り、乾杯の音頭をとってくださいと頼まれました。そこで村長は樽の栓をひねり、先ず一杯酌んで味見をしたのですが、なんと、中身はただの水だったのです。こんな大きな樽の中に自分ぐらい、ぶどう酒の代わりに水を入れても分からないだろうと考え、良いぶどう酒を自分の家に取っておいた者は一人ではなかったのです。
 これでせっかくの祭りも、水の泡と化したのは言うまでもないことです。

“Darrel L.Anderson”より
  

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