こころの散歩

わたしはナンシー

わたしはナンシー

 ナンシーは三歳児でしたが、病院に連れてこられた当時は、生後一歳の体重・身長しかありませんでした。しかし、診察してもどこにも異常はないのです。それから三か月経ってもあまり成長しません。不審に思った医師が、看護婦にいろいろ聞いてみると、入院以来「両親が一度も会いに来ていない」ということが分かりました。
 そこで医師が両親を訪ねてみますと、若い夫婦は二人とも大学の研究生で、一流大学の博士論文に取り組んでいる最中でした。そして、辛く悲しいことだが、子供に会いに行く時間がない状態だというのです。エリートにとって激烈な競争社会のアメリカでは、この博士論文が通るか否かは、二人の将来を決する重大な事なのです。黙って戻った医師は、ナンシーを病院で最も人の出入りの頻繁な廊下にベッドを置いて寝かせました。そして次のような貼り紙をしたのです。
 「わたしはナンシーです。そばを通る人で時間のある人はわたしを抱きしめ、ほおずりをしてください。そして<ナンシー>と呼んでください。時間の足りない人は、せめて立ち止まって、<ナンシー>と呼びかけてください。本当に時間がなくて急いでいる人は、走りながら微笑みを投げかけてください。」
 通りがかりの医師、看護婦、職員、外来の人たちがこれに協力しました。それから三か月、ナンシーは標準の体重・身長を取り戻したのです。

 心をかけられ、愛情で包んで育ててくれないと、赤ちゃんは人間として成長しないのです。私たちは、いってみれば、ひとりひとりがこのナンシーなのです。

鈴木 秀子 監修 / 日本エニアグラム学会 編 「自分探しの本」(春秋社)より
  

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