こころの散歩
クリスマスの思い出
クリスマスの思い出
私が初めてクリスマスの意味を知った思い出を紹介します。それは、7才の時でした。
その年、世界的不景気が続き、失業者が続出し、裕福だった私たちの生活も次第に楽ではなくなってきました。そしてその日は、雪の降る12月の、寒いクリスマスに近い夕方のことでした。学校から帰った私は勢いよく居間に駆け込みました。と、母のお気に入りの、紺のすばらしくきれいなベルベットのカーテン・・故郷ミシガン州のきびしい北風を防いでいた豪華なカーテンを父が取り外しているではありませんか。
私は、「ただいま」のことばも忘れて立ち尽くしてしまいました。「お父さん。なにをしているの。」するとそばの母が振り返り、2,3か月前、新聞社の工員の一人が失業させられたこと、その奥さんと4人の子供がお金はもちろん、食料も衣類もなく餓えに苦しめられていることなどを話してくれました。そして、クリスマスの本当の喜びは、もらうことよりも与えることにあるということを教えてくれ、今困っている家庭に、自分の家にあるわずかなものを分かち合いたいのだということなどをやさしく話してくれました。
父は暖かい、重いカーテンをたたみはじめ、母は台所へ立ちあがり、ポテトの袋を持ち出してきました。持ち出されたポテトは、テーブルの上で、両親の手で2つに分けられました。まるでダイヤモンドでも数えるかのように大切に、一つずつ分けられていったのです。この日の光景は今でも昨日のことのようにありありと目に浮かんできます。やがて父はカーテンとポテトを持って家を出ていきました。
記者だった父は、その工員と特に親しかったわけではなく、宗教も、故郷もすべて異なっていたといいます。しかしそれは「人間みな兄弟だ」と教えていた父の、いかにも父らしい行為だったと思います。当時台所にはポテト以外のものは何もなかったのだということを、後になって知りました。クリスマスになると毎年私は贈り物の準備とともに、信仰深かった両親を、そして多くの兄弟のことを考えさせられるのです。 こうして、私は両親から本当のクリスマスの意味を学んだのです。
画: 泉 類治