こころの散歩
ピーターの愛
ピーターの愛
犬養道子さんの著作、『人間の大地』のなかに、ほぼ7万人を収容するカオイダンのキャンプで起こった出来事がしるしてあります。
第一セクション内の病者テント内に、ひとりぼっちの子どもがおりました。親も兄弟姉妹もおらず――死んだか、殺されたか、あるいははぐれたか―― 一語も口にせず、空をみつめたままの子。衰弱しきったからだは熱帯性悪病のとりことなり、幾つもの病気をもっておりました。薬も、流動食も受けつけないこの子に、国際赤十字の医師団は打てるだけの手を打ったのち、匙(さじ)を投げます。「衰弱して死んでいくだけしか残っていない。可哀想に‥‥」と言って。
そのときから、医師団が匙を投げたそのときから、ピーターという名のアメリカ人のヴォランティア青年が、この子を抱いて、テント内に座った、というのです。
「特別の許可を得て(ヴォランティアは夕方5時半にキャンプを出る規則)、夜も抱きつづけた。子の頬(ほほ)をなで、接吻し、耳もとで子守歌を歌い、二日二晩、ピーターは用に立つまも惜しみ、全身を蚊に刺されても動かず、子を抱きつづけた。
三日目に――反応が出た。
ピーターの眼をじっと見て、その子が笑った!
『自分を愛してくれる人がいた。自分をだいじに思ってくれる人がいた。自分はだれにとっても、どうでもいい存在ではなかった‥‥』。この意識と認識が、無表情の石のごとくに閉ざされていた子の顔と心を開かせた。
ピーターは泣いた。よろこびと感謝のあまりに。泣きつつ勇気づけられて、食と薬を子の口に持っていった。
子は食べた! 絶望が希望に取って代わられたとき、子は食べた。
薬も飲んだ。そして、子は生きたのである。
‥‥‥‥‥
朝まだき、とうに40度に暑気が達し、山のかなたからは銃声が聞こえ、土埃のもうもうと吹きまくっていたカオイダンのあのときを、私は生涯忘れることはないであろう。」
菊地 多嘉子 著 「看護のなかの出会い」より
(日本看護協会出版会:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-8-11 TEL03-5275-2471)
写真: 山野内 倫昭