こころの散歩

信じるということ

信じるということ

 アメリカの中西部の町で、金持ちのビジネスマンが町中に張り紙をしました。その紙には「この町で借金のある方は誰でも○月○日の午前9時から12時の間に当事務所に来られたら、その借金を支払ってあげましょう」と書かれていました。
 勿論、この知らせは町中の噂となりましたがほとんど誰も信じませんでした。どこかに落とし穴があるに違いないと思ったからです。
 当日になり、ビジネスマンは午前9時から事務所のデスクに座っていましたが、10時になっても誰も来ません。11時頃、一人の男がやって来て、それとなく事務所を窺っている様子でした。彼は扉を開け、頭を出して「誰にでも借金を払ってくれるって話は本当かね?」と尋ねました。
 お金持ちは答えました。「本当さ。借金があるのかね?」
 男は言いました。「実はそうなんだ。」
 「何かそれを証明するもの、請求書とか、計算書とか持って来た?」
 男が書類に記入すると、ビジネスマンは、小切手に問題の借金全額のサインをしてくれました。12時までに、さらに二人の男がやって来て、同じように借金を払ってもらいました。
 信じられないことでした・・・・でも本当だったのです。でも本当だと気がついた時には、すでに時間切れとなっていました。

 もし人の善意を信じることができないなら、果たして神の善意を信じることができるでしょうか?

“Tonne”より
  

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