こころの散歩

墓で孝行するよりも

墓で孝行するよりも

 二人の友達が、喫茶店でコーヒーを飲みながら話しています。その一人が、ぼやきました。
  「最近、母親からの電話には、うんざりだよ。たまに見舞いに行けば、年寄りの言うことは、同じ話ばっかりだしさ。結局、いろいろ口実つけて、足が遠のいているところなんだ。」
  「僕は、君と反対で、母とはよく話すよ。悲しい時や、問題を抱えてる時なんか、母のところに行っては力をもらってるよ。」
  「まあ、君は僕よりりっぱだよ。」と、一人が少し心を痛めて答えると、その友達は悲しげに言いました。
  「いや、僕も母と墓で会うようになるまでは、君と同じだったんだ。母は少し前に亡くなったが、生きているときには、僕も母のところにはほとんど行かなかったよ。‥‥でも今では、皮肉にも、僕には母の存在が必要になってる。母がもういないんだということを深く感じているよ。母が逝(い)ってしまった後で、僕は母を求めているんだ。‥‥もし、僕のこの体験が役に立つなら‥‥お母さんが生きているうちに話しておけよ。一緒にいられることを喜んで、お母さんのいいところを認めて、欠点に目をつぶってごらん。お母さんが墓に入るまで待たないことだ! そこでは後悔の痛みが大きくうずいて、あるのは、やり直しのきかない、埋めることのできない大きな穴だけだよ。僕の二の舞にならないように願ってるよ。」

  この友達の言葉を、彼は帰りの車中で思い返していました。そして自分の事務所に戻ってから、秘書にこう言いました。
  「母と電話をつないでください。他の電話をまわさないようにお願いします。それからスケジュールを変更してください。今日は、母に捧げる日にしたいから。」

画: フェリペ・オカディス
  

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